副島義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
副島義一

副島 義一(そえじま ぎいち、慶応2年1月5日1866年2月19日) - 昭和22年(1947年1月27日)は、日本の衆議院議員法学者。専門は憲法学で、天皇機関説を唱えた[1]

経歴[編集]

肥前国佐賀郡本庄村(現在の佐賀県佐賀市)出身。1894年明治27年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、大学院に進んだ[2]。さらにベルリン大学に留学し[2]1901年(明治33年)から1902年(明治34年)にかけて、渡辺廉吉に代わって東京高等商業学校(現一橋大学)で憲法を講じた[3]

1908年(明治41年)に法学博士の学位を受けた[4]早稲田大学で教授・評議員を務めるかたわら、辛亥革命の際には寺尾亨とともに南京の臨時政府の法律顧問に就任し[5]、また1920年大正9年)には第14回衆議院議員総選挙に出馬して当選を果たした[2]

1931年(昭和6年)、南京国民政府の法律顧問に就任[2]。その後、国士舘中学校校長を務めた[2]

脚注[編集]

  1. ^ 『学界文壇時代之新人』pp.149-155
  2. ^ a b c d e 『人事興信録』
  3. ^ 市原昌三郎「一橋と公法学-憲法学・行政法学」一橋論叢
  4. ^ 『官報』第7408号、明治41年3月10日。
  5. ^ 『奇物凡物』pp.75-84

参考文献[編集]

  • 千朶木仙史編 『学界文壇時代之新人』 天地堂、1908年
  • 鵜崎鷺城 『奇物凡物』 隆文館図書、1915年
  • 人事興信所編 『人事興信録 第11版(上)』 人事興信所、1937年