前田利子

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前田 利子(まえだ としこ、元禄6年10月19日1693年11月16日) - 寛延元年12月6日1749年1月24日))は、関白二条吉忠北政所加賀藩主・前田綱紀の六女。直姫栄君(まさぎみ)。最後の女帝・後桜町天皇の外祖母である。

生涯[編集]

元禄6年(1693年)、金沢にて生まれる。母は側室の保寿院・津田氏。初名は直姫

元禄11年(1698年)6月、関白二条綱平の嫡男・吉忠との縁組を幕府より命じられる。この縁組は、将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の周旋であったという。同年9月結納。加賀藩は、宝永7年(1710年)二条家の御殿を造営した他、金銭を献上するなど二条家への援助を行い、これは婚礼後も続いた。正徳2年(1712年)7月13日金沢を発し、22日京に到着。26日婚礼を行った。吉忠の母である栄子内親王猶子となり、君号を栄君利子とした。正徳3年(1713年)6月4日長女・辰君、享保元年(1716年)8月24日次女・永君を産む。元文元年(1736年)8月27日、夫吉忠の関白就任に伴い、政所の宣下をうけ、翌28日従三位に叙される。寛延元年12月薨去。享年56。院号は泰真院。二尊院に葬られた。

長女の辰君(淳子)は有栖川宮職仁親王の妃となり、次女の永君(舎子・青綺門院)は桜町天皇女御となり、最後の女帝・後桜町天皇を産んだ。

なお、前田家では、かつて前田利常の娘・富姫が八条宮智忠親王に輿入れした際に、前田利政の娘を利常の養女として中納言竹屋光長に嫁がせ、富姫の話し相手にした前例にならい、前田孝行の娘・誠姫(寿君)を綱紀の養女とし、正徳4年(1714年)三条西公福に嫁がせた。

参考文献[編集]

  • 『金沢市史』「資料編3 近世1」(金沢市史編さん委員会)
  • 皆森禮子『加賀前田家の母と姫』(北國新聞社出版局、2009年