制限主権論

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制限主権論(せいげんしゅけんろん;ロシア語 Доктрина ограниченного суверенитета英語 The doctrine of limited sovereignty[1])とは、1968年ソビエト連邦チェコスロバキアに対する軍事介入(プラハの春事件)を正当化するために持ち出した論理であり、「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方のことである。[2]すなわち、内政不干渉の原則1648年ウェストファリア条約に遡り、1945年国連憲章第2条第7項[3]でも再確認された)を尊重しつつも、社会主義陣営全体の利益の護持を目的とする場合に限っては例外的に武力介入を伴う内政干渉が許容される、という論理である。この時のソ連指導者レオニード・ブレジネフの名前からブレジネフ・ドクトリン(ロシア語 Доктрина Брежнева、英語 The Brezhnev Doctrine)とも称される。1979年のアフガニスタンへの侵攻でもこの論理が用いられた。

やがて1980年代後半に入り、ミハイル・ゴルバチョフ新思考外交を展開するなか、新ベオグラード宣言で制限主権論を否定し、東欧各国の自主性を認めた。これはフランク・シナトラの曲「マイ・ウェイ」にちなんでシナトラ・ドクトリンと言われることもある。これによって東欧諸国はソ連からの干渉を気にせずに共産党体制の改革を進めることができ、やがて体制転換をもたらした東欧革命につながった。

人道的介入との比較[編集]

「内政不干渉の原則を尊重しつつも、人道的な保護を目的とする場合に限っては例外的に武力介入を伴う内政干渉が許容される」とする立場の人道的介入は、各国の主権を差し置いて別の何かを優先する論理であるという文脈において、制限主権論と軌を一にする。プラハの春事件における制限主権論と同様、人道的介入という理論は、当事国政府に対する事前許可を得ない武力介入を正当化した。具体的に、1990年代のユーゴスラビア紛争への武力介入、2003年のイラク戦争、2011年のリビア内戦への武力介入、2011年に始まったシリア内戦のうちシリア政府の事前許可を得ていない全ての勢力の武力介入、などが挙げられる。

出典・脚注[編集]

  1. ^ 例えば、Alfred D. Low “The Sino-Soviet Dispute: An Analysis of the Polemics” (1976) p.249 l.11 (英語)
  2. ^ 例えば、『城西現代政策研究 第1巻 第1号』(2007年3月)に森田昌幸教授が寄稿した論文「到来の国際政治を模索して」
  3. ^ Charter of the United Nations, Chapter I: Purposes and Principles (英語)、正文ではない日本語の参考訳として国際連合憲章

関連項目[編集]