制限主権論

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制限主権論(せいげんしゅけんろん)は、1968年ソ連チェコスロバキアに対する軍事介入(プラハの春事件)を正当化するために持ち出した論理であり、社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わないという考え方のことである。この時のソ連指導者レオニード・ブレジネフの名前からブレジネフ・ドクトリンとも称される。1978年のアフガニスタンへの侵攻でもこの論理が用いられた。

1980年代に入り、ミハイル・ゴルバチョフ新思考外交を展開するなか、新ベオグラード宣言で制限主権論を否定し、東欧各国の自主性を認めた。これはフランク・シナトラの曲「マイ・ウェイ」にちなんでシナトラ・ドクトリンと言われることもある。これによって東欧諸国はソ連からの干渉を気にせずに共産党体制の改革を進めることができ、体制転換をもたらした東欧革命につながった。

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