別府鉄道野口線

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野口線
野口駅に停車中のキハ101
野口駅に停車中のキハ101。
奥は国鉄高砂線のキハ35形
概要
現況 廃止
起終点 起点:野口駅
終点:別府港駅
ほか貨物線1路線
(別府港駅 - 港口駅、1926年廃止)
駅数 7駅(貨物駅含む)
運営
開業 1921年9月3日 (1921-09-03)
廃止 1984年2月1日 (1984-2-1)[1]
所有者 別府軽便鉄道→別府鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 4.4 km (2.7 mi)(貨物線含む)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 280 m (920 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 6 (0 ° 20 )
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
exSTR
国鉄高砂線
0.0 野口駅
exSTR3 exSTR
exBHF
0.8 藤原製作所前駅
exBHF
1.5 円長寺駅
exBHF
2.4 坂井駅
STR+r exSTR
山陽電鉄本線
3.0 別府口駅
STR exSTR
別府駅
STR exSTR exSTR+l
土山線
STRl xKRZu xKRZu
exABZg+l exSTRr
exBHF
3.7
0.0
別府港駅
exDST
0.7
港口駅 -1926
exKBSTe
多木化学等専用線

野口線(のぐちせん)は、かつて兵庫県加古川市野口駅から同市内の別府港駅を結んでいた別府鉄道鉄道路線である。1984年(昭和59年)2月1日廃線となった。

別府港にある多木製肥所(現在の多木化学)で製造された化学肥料などを運ぶために1921年(大正10年)に開業した。1923年(大正12年)に鉄道省(後の日本国有鉄道山陽本線と接続する土山線が開業すると貨物輸送の主体はそちらに移り、旅客営業主体の路線となった。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):野口 - 別府港間 3.7km(廃止時)、別府港 - 港口間 0.7km
  • 軌間:1,067mm
  • 駅数:6駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化

運行形態[編集]

開業当時は全列車が播州鉄道(後の播丹鉄道)に直通加古川駅に乗り入れていた。1日4往復であったという。土山線の開業で貨物は減少し、旅客主体の路線となった。1943年(昭和18年)の播丹鉄道が買収国有化されたことにより乗り入れは中止された。

戦後に路線が復活した際には、野口駅に渡り線が設置されなかったため貨物列車は設定されず、すべて内燃動車(気動車)による旅客列車であった。

1969年(昭和44年)12月時点では、1日10往復で所要11分[2]。1984年(昭和59年)1月時点で、1日9往復の旅客列車が運行されていた[3]。野口駅での高砂線の接続の待ち時間は、最大で1分程度だった[4]

車両[編集]

キハ2
1931年(昭和6年)に三岐鉄道のキハ5[5]として日本車輌製造で製造された気動車。1965年(昭和40年)に別府鉄道に入線。1984年(昭和59年)の廃止時まで使用され、末期は残り少ないバケットカーとして注目された。現在は円長寺駅跡付近の公園に保存されている。一時期荒廃が進んでいたが、2013年(平成25年)からボランティア団体が中心となってクラウドファンディングによる全面的な修繕が行われた。
キハ3
1930年(昭和5年)に佐久鉄道のキホハニ56として日本車輌製造で製造された気動車。その後買収国有化を経て三岐鉄道キハ6[5]となり、1959年(昭和34年)12月に別府鉄道に入線した。この車両もバケットカーとして注目され、廃止時まで使用された。現在はキホハニ56に復元のうえ、長野県佐久市の成知公園に保存されている。
キハ101
1934年(昭和9年)に国鉄キハ41057として川崎車輛で製造された気動車。その後同和鉱業片上鉄道キハ301となり、片上鉄道時代に液体式ディーゼル動車に改造[5]。1974年(昭和49年)に別府鉄道に入線した。廃止時まで使用され、加古川市内の中島公園に保存されていたが、2008年(平成20年)に解体された。

歴史[編集]

駅一覧[編集]

野口駅 - 藤原製作所前駅 - 円長寺駅 - 坂井駅 - 別府口駅 - 別府港駅 - 港口駅

接続路線[編集]

廃止後の状況[編集]

ほぼ全線にわたり道路化され、山陽電鉄との交差部付近から旧国鉄高砂線との合流部までは加古川市の遊歩道『松風こみち』として整備された。その際、遊歩道の脇には1970年に加古川市の市の木と決められたクロマツと、同じく1970年に加古川市の市の花と決められたツツジなどが植えられた。また、途中の駅跡は休憩所になっている。

一方、関西圏都市交通研究会は加古川・高砂LRTとして当路線の復活による野口 - 別府 - 土山のLRT敷設を提言している[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b “五私鉄の旅客、貨物営業廃止を軽微認定”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1984年1月25日) 
  2. ^ 藤井 (1969) p. 73
  3. ^ 宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くIV』JTB、1997年、p.127
  4. ^ #保育社 p. 92
  5. ^ a b c #保育社 p. 93
  6. ^ 川島令三著 『日本三大都市 未完の鉄道路線』 p305

参考文献[編集]

  • 鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京(覆刻は大阪)、1937年、p. 397頁。ISBN 4-88540-048-1 
  • 藤井信夫 (1969). “別府鉄道”. 鉄道ピクトリアル No. 232 (1969年12月号臨時増刊:私鉄車両めぐり10): pp. 72-79, 106-107. (再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 2巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。 
  • 和久田康雄 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺5頁頁。 
  • 井上弘和・高橋摂 共著『日本の私鉄24 近畿』保育社(カラーブックス)、1983年。ISBN 4-586-50598-2 
  • 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』 9号 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2 

関連項目[編集]