凱風快晴

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『凱風快晴』
Red Fuji southern wind clear morning.jpg
作者葛飾北斎
製作年1831-33年天保2-4年)頃
種類多色刷木版画
寸法25.72 cm × 38 cm (10.13 in × 15 in)

凱風快晴」(がいふうかいせい)は、葛飾北斎名所浮世絵揃物富嶽三十六景』全46図中の1図で、「赤富士」(あかふじ)とも呼ばれる。大判錦絵。「神奈川沖浪裏」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる[1]

概要[編集]

山下白雨」とともに、富士を大きく正面から描いた作品で、画面下には樹海、空にはいわし雲が描かれ、富士の山頂には雪渓が残る。

「凱風」とは『詩経[注釈 1]』や『和漢朗詠集[注釈 2]』に由来し、夏に吹く柔らかな」南風を意味する。本図以前に、野呂介石筆「紅玉芙蓉峰図」(和歌山脇村奨学会蔵)などの赤富士先行例があり、北斎に影響を与えた可能性が指摘されている[4]

題名や描写に、朝を示す情報は無い。朝日で赤くなっているのなら、雪も赤く摺られるはずである。これらの点から、富士山の茶色い山肌を、快晴の空の下で明るく照らされているのを強調するために赤くし、「赤富士」という現象が知られるにつれて、「赤富士」という名称が浸透したという意見もある[5][6]

本図が甲斐国側か駿河国側か、どちらから描いたかは、結論付けられていない[注釈 3][注釈 4]

なお、『三十六景』に先行する文化13年(1816年)に刊行した『北斎漫画五編』に、無題ではあるが、富士を主題とした作品を載せている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 邶風・凱風「凱風自南 吹彼棘心」-夏の大風が南から、芽ぶいたばかりの棘の小枝に吹きつける。[2]
  2. ^ 上・花橘・172「枝には金鈴を繋(か)けたり春の雨の後 花は紫麝(しじゃ)を薫ず凱風の程[3]
  3. ^ 立体地図ソフト「カシミール3D」を駆使し、富士見ポイントを調査している田代博によると、この絵のポイントとして
    • 山稜右側の方が勾配がきつく、宝永山の盛り上がりがない。
    • 山頂のギザギザがさほど目立たない。
    • 残雪の特徴。
    • 「赤富士」であることは鉄分が多いことを示す。
    をあげ、以上の点から西側から見たのではないし、カシミール3Dで解析した結果、富士吉田市か、三ツ峠からの画像とほぼ一致するとした[7]
  4. ^ 田代は、北斎が1810年(文化7年)に甲州を訪れていると記している[8]が、そのような史実は無い[9][10][11]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 飯島, 虚心『葛飾北齏傳』蓬樞閣、1893年9月。上下巻。
  • 川口, 久雄志田延義校注『日本古典文学大系73 和漢朗詠集 梁塵秘抄』岩波書店、1965年。
  • 狩野, 博幸『絵は語る14 葛飾北斎筆 凱風快晴 赤富士のフォークロア』平凡社、1994年。
  • 石川, 忠久新釈漢文大系110 詩経(上)』明治書院、1997年。
  • 東京国立博物館, 編『北斎展』、2005年。
  • 山梨県立博物館, 編『北斎と広重 ふたりの富嶽三十六景』、2007年。
  • 樋口穣「葛飾北斎「凱風快晴」考」『京都外国語大学研究論叢』第69号、京都外国語大学、2007年、 227-243頁。
  • 永田, 生慈「北斎旅行考」『研究紀要』第2号、財団法人北斎館 北斎研究所、2009年、 4-14頁。
  • 田代, 博『「富士見」の謎』祥伝社〈祥伝社新書〉、2011年。ISBN 978-4-396-11239-4
  • 日野原, 健司「葛飾北斎『冨嶽三十六景 凱風快晴』再考」『浮世絵芸術』第170号、国際浮世絵学会、2015年、 23-41頁。
  • 日野原, 健司『北斎 富嶽三十六景』岩波書店岩波文庫〉、2019年。

関連項目[編集]