内野辰次郎

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内野 辰次郎
うちの たつじろう
Tatsujiro uchino.jpg
内野辰次郎の肖像写真
生誕 1868年10月8日
福岡県
死没 (1933-12-05) 1933年12月5日(65歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1890 - 1923
最終階級 陸軍中将
除隊後 衆議院議員
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内野 辰次郎(うちの たつじろう、1868年10月8日慶応4年8月23日) - 1933年12月5日)は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍中将衆議院議員

経歴[編集]

福岡県出身。医師・内野東庵の二男として生まれる。陸軍幼年学校を経て、1890年(明治23年)7月、陸軍士官学校(1期)を卒業。翌年3月、歩兵少尉に任官し歩兵第2連隊付となる。日清戦争に出征。陸士生徒隊付、陸軍戸山学校教官などを経て、1902年(明治35年)11月、陸軍大学校(16期)を卒業した。

1903年(明治36年)12月、歩兵少佐に昇進し歩兵第22連隊付となり、第11師団参謀、陸大教官を歴任し、1907年(明治40年)11月、歩兵中佐に進級。1909年(明治42年)12月、戸山学校教官に転じ、1910年(明治43年)11月、歩兵大佐に昇進した。1912年(明治45年)4月、近衛師団参謀長に就任し、教育総監部第1課長に転じ、1915年(大正4年)8月、陸軍少将に昇進し歩兵第20旅団長に着任。

1918年(大正7年)7月、歩兵第40旅団長となり、1919年(大正8年)7月、陸軍中将に進み第14師団留守司令官に就任。同年11月、第7師団長に親補され、1923年(大正12年)8月、待命となり、翌月、予備役に編入された。その後、1924年(大正13年)5月から死去するまで衆議院議員を勤めた。

栄典[編集]

親族[編集]

  • 娘婿 岡本孝行(陸軍大佐)

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、90頁)