内藤元幸

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内藤元幸
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正16年(1588年
死没 寛文6年1月17日1666年2月20日
別名 通称:作次郎→與左衛門→作左衛門尉
官位 内蔵允
主君 毛利輝元秀就綱広
長州藩
氏族 藤姓内藤氏
父母 父:内藤元泰、母:内藤元栄の娘
兄弟 広泰、女(児玉元道室)、元幸元友恒安吉盛
就玄就幸就貫

内藤 元幸(ないとう もとゆき)は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物。毛利氏の家臣で、長州藩士。父は内藤元泰

生涯[編集]

天正16年(1588年)、毛利氏の家臣・内藤元泰の次男として生まれる。慶長8年(1603年10月16日毛利輝元加冠によって元服し、「元」の偏諱を与えられて元幸と名乗った。また輝元から、慶長12年(1607年)に與左衛門尉、慶長16年(1611年)に作左衛門尉仮名が与えられている。

慶長13年(1608年)に父・元泰が死去したことで、父の隠居領のうち60石の地を相続した。以後、長州藩士として毛利秀就毛利綱広に仕え、寛文6年(1666年1月17日に79歳で死去した。

参考文献[編集]

  • 萩藩閥閲録』巻53「内藤遊久左衛門」、巻103「内藤半右衛門」、巻131「内藤作兵衛」