内藤信之

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内藤 信之(ないとう のぶゆき、寛文11年(1671年) - 元禄2年11月10日1689年12月21日))は、江戸時代前期の寄合旗本(5,000石)。内藤信光の子。母は本多利長の娘。通称は兵庫。

元禄1年(1688年)12月10日、兄・内藤信清の遺領を継ぎ、翌2年閏1月18日、将軍徳川綱吉に初御目見する。同年4月13日に中奧の小姓となり、5月18日に御小姓となった。

元禄2年(1689年)12月21日、江戸において死去した。享年19。法名は全忠。葬地は赤坂の浄土寺とされている(「寛政譜」新訂13巻207頁)。家督は兄・内藤弌信の子・信盛が継いだ。

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