内田忠男

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内田 忠男
生誕 (1939-06-09) 1939年6月9日(78歳)
フィリピンの旗 フィリピン米領マニラ
教育 慶應義塾大学経済学部
職業 国際ジャーナリスト
公式サイト 内田忠男オフィシャルサイト

内田 忠男(うちだ ただお、1939年6月9日 - )は、国際ジャーナリストである。マニラ(当時:米領フィリピン群島)出身。日本国際フォーラム政策委員[1]

経歴[編集]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

人物[編集]

  • ジャーナリスト歴54年。そのうち在米期間は、1975年以来通算26年余り(ニューヨークが大半で、ロサンゼルスにも5年間居住)。全米50州のうち、48州に足跡を記している。
  • 米国大統領選挙を間近に取材したのは、1976年のカーターVSフォード以来、東京で夕方ニュースのアンカーをしていた92年を除く毎回、2004年7回目。
  • キャリアの過半を占めた国際ジャーナリズムの活動では、G7、G8の主要国首脳会議(サミット)を計19回現地取材したのをはじめ、米ソ、米ロ首脳会談、全欧安保協力会議首脳会議、ダボス会議、米州首脳会議など、国際会議を取材した。
  • スポーツでは、米大リーグやPGA、LPGAなどゴルフの取材経験がある。大リーグ取材では、常にスコアカードを携えてゲームの成り行きを見ている。ゴルフでは、岡本綾子ら日本人ゴルファーのツアー優勝をたびたび取材したほか、テレビ朝日が全米オープンの放送権を取得した後、3年間解説を担当した。大相撲は、父親が春日野部屋のタニマチだったことから、小学校3年頃から本場所、稽古を見ており、前記読売運動部時代には支度部屋取材を担当、社会部時代には「横綱北の湖誕生」の記事を執筆。
  • 個人的な趣味として、ニューヨーク在住中は、メトロポリタン・オペラとNYフィルを定期的に観賞。とくにメッツのオペラは「スポンサー・パトロン」として登録されプログラムにも名前が掲載されている(2002〜2003シーズンまで)。ロサンゼルス在住中は、ロサンゼルス・フィルの定期会員でもあった。

著書[編集]

  • マンハッタン ブロードキャスティング(1989年、日経通信社)
  • 世紀末の日本と世界(1996年、近代文芸社)
  • 国際ビジネスの基礎知識百科(1989年、主婦と生活社=監修)など。
  • 雑誌、新聞などへの寄稿執筆も続けながら、講演多数。

出典[編集]

  1. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]