内田定吉

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内田定吉
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
別名 小太夫
戒名 宗円
主君 武田信玄勝頼徳川家康
吉次
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内田 定吉(うちだ さだよし)は、戦国時代から江戸時代初期の武将

生涯[編集]

最初、甲斐国戦国大名である武田信玄勝頼の2代に仕える。天正10年(1582年武田氏が滅亡すると徳川家康に服属し、天正壬午の乱では蘆田信蕃に属して真田昌幸と戦った。戦後は諏訪高島城を守備。天正13年(1585年上田合戦に従軍。天正18年(1590年小田原征伐では敵方の忍者を警戒し、捕縛には失敗したがこれを討ち取った。慶長5年(1600年関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従う。慶長18年(1613年)甲斐国内の旧領を与えられる。慶長19年(1614年大坂冬の陣では岡崎城に詰めた。

出典[編集]