内海十楼

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内海 十楼(うつみ じゅうろう、1899年1月19日[1] - 1962年12月24日[2])は、日本裁判官東京高等裁判所判事仙台地方裁判所所長などを務めた。

略歴[編集]

内海重男の長男として福岡市に生まれる[1]。1919年福岡県立中学修猷館[3]、1922年3月第五高等学校文科甲類[4]を経て、1925年3月東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[5][1]。同年高等試験司法科に合格[6]

1926年司法官試補となり、1928年千葉地方裁判所判事に進み、その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京民事地方裁判所判事部長、札幌控訴院判事部長を経て、1947年秋田地方裁判所所長に就任。仙台地方裁判所所長を経て、1951年4月東京高等裁判所判事に就任[1]。退官後、1957年9月公証人となる[6]

1962年12月24日、心筋梗塞のため自宅にて死去[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『人事興信録第16版』(人事興信所、1951年) ウ-26頁
  2. ^ a b 朝日新聞 1962年12月26日付 13面
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員14頁(「内海十郎」として)
  4. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)298頁
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正12年至大正13年)』(東京帝国大学、1924年)學生生徒姓名15頁
  6. ^ a b 『人事興信録第21版』(人事興信所、1961年) ウ-57頁