兵範記

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兵範記(へいはんき/ひょうはんき)は、平安時代公家平信範の日記。書名は信範の極官である兵部卿と信範の名から。また住所であった洞院を取って『平洞記』とも、信範の二字の偏を取って『人車記』とも呼ばれる。記載時期は天承2年(1132年)から承安1年(1171年)に至るまで約40年間を網羅する。

平信範は、桓武平氏高棟流の流れをくみ、俗に「日記の家」と呼ばれた学者の家系であり、また実務官僚でもあったため、その日記は平安時代後期の京都朝廷や公家たちの活動や、朝廷の儀典について知るための基本史料となっている。特に信範は摂関家藤原忠通基実らに家司として仕えたため、当時の上級公家などの動きに詳しく、中でも保元の乱および乱後の後白河院平家などについての詳細な記述は、他の諸記録の追随を許さないといえる。

さらに『兵範記』原本の特長としては、大量の紙背(しはい)文書(紙が貴重であった時代、正規の文書の裏に書かれた文章)の存在が挙げられる。信範が摂関家政所別当職や蔵人頭を務めていた際の訴訟・行政文書の裏が日記用の紙に使われており、摂関家の内部事情や蔵人頭の業務内容が窺える貴重な史料ともなっている。

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