八郷隆弘
はちごう たかひろ 八郷 隆弘 | |
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生誕 | 1959年5月19日(63歳)![]() |
出身校 | 武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科(流体工学研究室) |
職業 | 技術者 実業家 |
活動期間 | 1982年 - |
肩書き | 本田技研工業株式会社元社長 |
任期 | 2015年 - 2021年 |
八郷 隆弘(はちごう たかひろ、1959年〈昭和34年〉5月19日 - )は、日本の技術者・実業家。本田技研工業株式会社。神奈川県相模原市出身[1]。
経歴[編集]
武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科を卒業後、1982年に本田技研工業に入社。入社後は、車体設計を中心に四輪車の研究開発に従事。その後、シャシー設計プロジェクトリーダー、USオデッセイの設計開発責任者代行、ラグレイトの開発責任者、2代目「CR-V」の開発責任者を歴任した[2]。
2008年に本田技研工業執行役員に就任。2012年にホンダモーターヨーロッパ取締役副社長に就任。2013年に本田技研工業(中国)副総経理に就任。2014年に本田技研工業常務執行役員に就任。2015年に専務執行役員を経て代表取締役社長に就任。2021年6月社長退任。後任に三部敏宏が就任。
人物[編集]
- 本田技術研究所社長を経験しない初の社長として話題となった[要出典]。
- 2011年の東日本大震災直後に鈴鹿製作所の所長となる。部品もなく、造るものもないといった状況下であったが被災した栃木研究所のメンバーを受け入れ、逆境のなかで全員が危機感を共有し、「SKI:スズカ・ケイ・イノベーション」と呼ばれる新しい軽事業の立ち上げプロジェクトがスタート。このプロジェクトから累計生産台数100万台を超えるNシリーズが誕生した[3]。
- 海外法人での勤務歴が長かったこともあり、社長就任時に自家用車を保有していないことも話題となった[要出典][注釈 1]。なお、自家用車に関しては「シビックタイプRが買いたい」とコメントしていた[4]。
- 社長在任中には、グローバルで四輪生産600万台体制を目指した伊東孝紳前社長の拡大路線修正を図り、狭山工場・英国工場・トルコ工場閉鎖を決断して余剰生産能力を削減。また、創業者である本田宗一郎の社長時代に、副社長の藤沢武夫の意志で本社部門から分社化され「聖域」とされていた四輪車の開発部門を本社部門に再統合するという本田技術研究所の改革も実施。毎年数百億円というコストがかかっていたF1からの撤退も決断するなど、低迷する四輪の利益率の改善を図り経営資源の効率化と集約化のために数々の改革を断行した。加えて「100年に一度の大変革期」と呼ばれる自動車業界の変化に対応するために、これまでの自前主義を方針転換する形で北米での四輪領域におけるゼネラルモーターズ(GM)とのアライアンスも締結した。
- モースポフェス SUZUKA 2019開幕式では、ル・マン24時間を制したF.C.C. TSR Honda FranceのCBR1000RRに跨り、ヤリスWRCをドライブするトヨタ自動車の豊田章男社長と共に鈴鹿サーキットで共演を果たした。八郷は普段から豊田とは仲が良いと語っている[5]。
- 2019年4月1日現在、シビックタイプRおよびCB1100RSを所有している。また、ラグレイトやCR-VのLPL時代はオデッセイを所有していた[2]。
- 2020年10月に、2015年からパワーユニットサプライヤーとして参戦していたF1プロジェクトの2021年限りでの終了を自ら決断し発表。2021年にレッドブル・レーシングのマックス・フェルスタッペンがドライバーチャンピオンシップを獲得し、プロジェクトは有終の美を飾る。一方で、実質的にホンダ製パワーユニットの使用を継続した2022年にも、同チームはドライバーチャンピオンシップ及びコンストラクターチャンピオンシップのダブルタイトルを獲得。チームは通算17勝、そのうちフェルスタッペンが15勝を挙げてF1のドライバー年間最多勝利記録を更新。もしもホンダとして公式にF1参戦を継続していた場合、ダブルタイトル獲得という成績はホンダF1の黄金期と呼ばれた1991年以来の歴史的快挙の達成であり、ホンダF1としてのチーム・ドライバーそれぞれの勝利数・表彰台回数など多くの記録が塗り替えられたシーズンとなるはずであった。2021年限りでのF1撤退という八郷の決断は、結果的にホンダの企業史に大きな功績を加える機会を逃すものとなり、加えて、F1人気が向上するアメリカ市場などでのブランド・マーケティング戦略に対しても大きな機会損失となった。
- 八郷と個人的な付き合いもあり、距離が近かった当時のホンダF1のマネージングディレクター・山本雅史のインタビューや書籍での発言などを受け、一部のファンやメディアからは「八郷は熱心なモータースポーツファンであり、F1撤退はその他の経営陣の意を受けた八郷が責を取る形で決めたもの。本意ではなかった」と言った声も聞かれる。
- 一方で在任中の2018年に発表したホンダの中期経営計画である2030年ビジョンには、モータースポーツやF1に関する記載は全くない。また、F1レースの現場を訪問した回数も日本グランプリや開幕戦であったオーストラリアグランプリなど主要なレースに限られ、当時副社長の倉石誠司の方が頻繁にF1のパドックに姿を見せていた。八郷自らが積極的にF1についてメディアに発信する機会はプレスリリース上のコメントに限られ、質問された際以外の言及はほとんどなかった。
- こういったことから、経営者としての八郷のモータースポーツやF1への関心は低く、ホンダのブランドアイデンティティの根幹をなすものの一つと捉えてブランド力向上や商品の訴求に活用していこうという経営感覚や意志は、在任期間中一貫して乏しかったことがうかがえる。同時期にトヨタ自動車の社長を努めた豊田章男がモータースポーツについて頻繁に言及するのみでなく、自身がレースに出場したり、モータースポーツ部門であった「Gazoo Racing」を「GR」ブランドとして商品ラインナップに加えたりと、モータースポーツをトヨタのブランディングに積極的に活用していた姿勢とは非常に対照的。
- ホンダF1のラストレースおよび劇的なアブダビでの勝利からちょうど1年となった2022年12月12日、ホンダ・レーシング(HRC)社長の渡辺康治が、HRCが2026年以降のF1に向けてFIAへのPU製造者登録を済ませたことを認める。その数日後には2023年のレッドブル・レーシングおよびスクーデリア・アルファタウリのエンジン製造者名がHonda RBPTとなることも国際自動車連盟(FIA)から発表された。八郷が2020年の撤退表明の会見時に「再参戦は考えていない」とまで明言したF1撤退の決断は、撤退からわずか1年で事実上覆されることとなった。なお、渡辺は撤退表明時の会見にも八郷とともに登壇していた人物でもある。
略歴[編集]
- 1978年(昭和53年)3月 - 神奈川県立相模原高等学校卒業[1]。
- 1982年(昭和57年)3月 - 武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科(流体工学研究室)卒業[6][7]。
- 1982年(昭和57年)4月 - 本田技研工業株式会社入社[8]。
- 2004年(平成16年)4月 - ホンダR&Dアメリカズ・インク上級副社長。
- 2006年(平成18年)4月 - 株式会社本田技術研究所執行役員[8]。
- 2007年(平成19年)4月 - 株式会社本田技術研究所常務執行役員[8]。
- 2008年(平成20年)4月 - 本田技研工業株式会社 購買本部四輪購買二部部長[9]。
- 2008年(平成20年)6月 - 本田技研工業株式会社執行役員 購買本部四輪購買二部部長[10]。
- 2010年(平成22年)4月 - 本田技研工業株式会社執行役員 購買本部購買二部部長[11]。
- 2011年(平成23年)4月 - 本田技研工業株式会社執行役員 生産本部鈴鹿製作所所長[12]。
- 2012年(平成24年)4月 - 本田技研工業株式会社執行役員[13]。
- 2012年(平成24年)4月 - ホンダモーターヨーロッパ・リミテッド取締役副社長[13]。
- 2012年(平成24年)9月 - 株式会社本田技術研究所常務執行役員[8]。
- 2012年(平成24年)9月 - ホンダR&Dヨーロッパ(UK)リミテッド取締役社長。
- 2013年(平成25年)4月 - 本田技研工業株式会社執行役員 中国生産統括責任者[14]。
- 2013年(平成25年)4月 - 本田技研工業(中国)投資有限公司副総経理[14]。
- 2013年(平成25年)11月 - 本田技研科技(中国)有限公司設立[15] 副総経理[8]。
- 2014年(平成26年)4月 - 本田技研工業株式会社常務執行役員 中国生産統括責任者[16]。
- 2015年(平成27年)4月 - 本田技研工業株式会社専務執行役員[17]。
- 2015年(平成27年)5月 - 一般社団法人日本自動車工業会理事[18]。
- 2015年(平成27年)6月 - 本田技研工業株式会社代表取締役社長兼CEO[19][20]。
- 2016年(平成28年)5月 - 一般社団法人日本自動車工業会副会長[21]。
- 2018年(平成30年)6月 - 一般社団法人自動車公正取引協議会会長[22]。
- 2018年(平成30年)6月 - 一般社団法人全国公正取引協議会連合会副会長[23]。
- 2019年(令和2年)4月 - 一般社団法人日本自動車工業会理事[24]。
- 2021年(令和3年)4月 - 本田技研工業株式会社取締役(同年6月退任)[25]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b “地元の分身 八郷隆弘”. 日本経済新聞. (2016年1月1日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ a b 八郷隆弘 (2001年9月18日). “プレスインフォメーション(FACT BOOK) CR-V”. 本田技研工業株式会社. 2020年5月26日閲覧。
- ^ 佐久間秀 (2015年7月6日). “ホンダ、「“チーム Honda”でグローバル競争に挑む」八郷隆弘新社長が就任記者会見”. Car Watch (インプレス) 2020年5月26日閲覧。
- ^ “ホンダ八郷社長、新型「シビックタイプR」は自分でも買いたい(1/2)”. オートックワン. (2015年8月24日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ “トヨタ豊田社長&ホンダ八郷社長が鈴鹿サーキットに揃い踏み「日本のモータースポーツを共に盛り上げたい」”. Motorsport.com (Motorsport Network). (2019年3月2日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ “‘個が重なり合うホンダイズム’の再興を託された男”. ニュースイッチ (日刊工業新聞社). (2015年7月21日) 2017年11月10日閲覧。
- ^ “ホンダ技研工業(株)代表取締役社長に機械工学科卒業生八郷隆弘氏就任”. 東京都市大学校友会. (2015年12月15日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e (PDF) 『第91期 有価証券報告書』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2015年6月26日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『取締役委嘱人事および執行役員委嘱人事を内定』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2008年2月22日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『代表取締役および役員の異動に関するお知らせ』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2008年2月22日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『組織変更』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2010年2月22日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『取締役委嘱人事および執行役員委嘱人事を内定』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2011年2月22日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ a b 『取締役委嘱人事および執行役員委嘱人事を内定』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2012年2月21日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ a b 『取締役委嘱人事および執行役員委嘱人事を内定』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2013年2月22日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『中国における四輪車研究開発・部品調達・生産機能を強化 ―新法人 本田技研科技(中国)有限公司を設立―』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2013年11月5日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『執行役員委嘱人事』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2014年2月24日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『執行役員委嘱人事』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2015年2月23日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『一般社団法人 日本自動車工業会 役員名簿』(プレスリリース)一般社団法人日本自動車工業会、2015年5月21日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ 『代表取締役および役員の異動に関するお知らせ』(プレスリリース)本田技研工業株式会社、2015年2月23日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ "Notice Concerning Management Changes" (Press release) (英語). 本田技研工業株式会社. 23 February 2015. 2021年1月21日閲覧。
- ^ 『一般社団法人 日本自動車工業会役員名簿』(プレスリリース)一般社団法人日本自動車工業会、2016年5月19日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ “新会長に八郷隆弘氏/自動車公正取引協議会”. グーネット自動車流通 (プロトコーポレーション). (2018年6月5日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ “平成30年度 一般社団法人全国公正取引協議会連合会 役員” (PDF). 一般社団法人全国公正取引協議会連合会 (2018年6月11日). 2021年1月21日閲覧。
- ^ 『一般社団法人 日本自動車工業会役員名簿』(プレスリリース)一般社団法人日本自動車工業会、2019年4月9日 。2021年1月21日閲覧。
- ^ “役員室メンバー表(約825KB)”. 2021年4月28日閲覧。
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