八股榎大明神

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八股榎お袖大明神
八股お袖大明神全景
全景
所在地 愛媛県松山市堀之内
位置 北緯33度50分22.42秒
東経132度45分52.44秒
座標: 北緯33度50分22.42秒 東経132度45分52.44秒
主祭神 八股榎お袖大明神
例祭 11月8日
主な神事 月並祭(毎月8日)
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八股榎お袖大明神(やつまたえのきおそでだいみょうじん)は、愛媛県松山市にある神仏習合である。神紋は五つ捻じ玉。

概要[編集]

松山城の南東(東堀端)に位置し、松山市役所の前に社地がある。本殿横にの大木が生えている[1]

祭神[編集]

  • 八股榎お袖大明神

歴史[編集]

この祠の起源は、かつて勝山城(現在の松山城)にすんでいた神通力をもつ、お袖が1830年文政13年)にこの地に生えていた榎の大木に住み着いたのに始まるとされる[2]

祠が置かれていた榎の大木は明治44年(1911年)に松山電気軌道が開通する際に邪魔になるからと切られてしまい、この時に上一万(現在の勝山町2丁目)の常楽寺境内の六角堂に合祀された。この堂には現在も八股榎大明神が祀られている[3]

後に別の榎の下に祠が建てられた。その榎も伊予鉄道が路面電車の複線化を進める際に切られることとなったが、切り倒す作業は難航し、結局昭和9年(1934年)に石井村の喜福寺に移植された。しかし古木のためその後間もなく枯れてしまった[4]。直後に大井村大井駅で一人の女学生が降車し、それがお袖狸の化身ではないかと噂になり、小西村の山奥の明堂という小さな堂に移り住んだということにされ、一時的にそこへの参詣者が増加した[5]

その後お袖狸は松山城の堀端に帰り、昭和20年代に生えた榎の木に棲み付いたとされ、昭和27〜28年頃に小さな祠が建てられた。その後昭和30年(1955年)に仮殿が造られ、翌年には本殿が造営された。以降信奉する民間人によって祭祀が続けられている[6]

交通[編集]

周辺施設[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この近辺はかつては榎が多く生えており、江戸時代後期から昭和39年(1964年)までの地名「榎町」の由来にもなった(『日本歴史地名大系 第39巻 愛媛県の地名』 1980年 平凡社 369頁、『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』 1985年 角川書店 142頁)。
  2. ^ 松山藩士の村井知衡の随筆『必笑雑話』には、「松山城の東門の外の広場に八ッ股と呼ばれる1つの株から8本に分かれて生えている榎の大木があり、その根元にできた空洞に狸が住み着き、毎晩人を化かしていた。その榎が強風で倒れたため伐採した後に三郎右衛門という人によって榎が植えられ、それも成長し大木となった。」という趣旨のことが記されている(玉井 (2003) 179頁)
  3. ^ 玉井 (2003) 34〜46頁
  4. ^ 池田 (1975) 98頁
  5. ^ 玉井 (2003) 89〜111頁
  6. ^ 玉井 (2003) 163頁

参考文献[編集]

  • 池田洋三『わすれかけの街<松山戦前>』 1975年 愛媛新聞社
  • 玉井葵『お袖狸、汽車に乗る 昭和十年愛媛の「狸騒動」』 2003年 創風社出版 ISBN 4-86037-023-6

関連項目[編集]