八条宮智忠親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
八条宮智忠親王
(はちじょうのみや としただしんのう)
八条宮(桂宮)
Prince Hachijō Toshitada.jpg
智忠親王像(宮内庁御物
続柄 八条宮智仁親王の第1王子
身位 二品
親王
出生 元和5年11月1日1619年12月6日
山城国
死去 寛文2年7月7日1662年8月20日
八条殿
埋葬 不明
相国寺慈照院内・桂宮東ノ墓地
配偶者 正室前田富子加賀藩主・前田利常の娘)
子女 養子:穏仁親王(第3代八条宮(桂宮)
父親 実父:八条宮智仁親王(初代八条宮(桂宮)
猶父:後水尾天皇(第108代天皇
母親 京極常子(丹後宮津藩主・京極高知の娘)
役職 中務卿
テンプレートを表示

八条宮智忠親王(はちじょうのみや としただしんのう)は、江戸時代前期の日本皇族。八条宮(桂宮)第2代。八条宮智仁親王第1王子、生母は丹後宮津藩京極高知の娘常子。幼称は若宮、多古麿(たこまろ)。

寛永元年(1624年後水尾天皇猶子となり、寛永3年(1626年)12月親王宣下を受け、忠仁(ただひと)と命名される。後に智忠親王と改称する。寛永6年(1629年)2月元服して、中務卿に任じられる。同年4月父智仁親王の薨去により宮家を継承する。寛永19年(1642年)9月前田利常の四女・富姫を妃とするが、後嗣を儲けることはできなかったため、承応3年(1654年後水尾天皇の第13皇子穏仁親王を養子とする。明暦3年(1657年)二品に叙せられる。寬文2年(1662年)7月7日薨去。44歳。法名は天香院。

智忠親王は、父智仁親王の影響を強く受け、学問を好んだ。和歌書道に秀でていた。最大の功績は桂離宮を後世に伝える上で基礎を築いたことである。父智仁親王が造営した桂の別荘(桂離宮)は父の没後、しばらく荒廃していたが、智忠親王はこれを改修し、御殿を増築し、庭園を整備することに努めた。