八戸市中心市街地

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八戸市中心市街地(2007年2月)
(廿三日町から三日町方向を撮影)

八戸市中心市街地(はちのへしちゅうしんしがいち)は、青森県八戸市中心市街地。略称は中心街(ちゅうしんがい)。

地域への集積[編集]

八戸市中心市街地は八戸駅から東に5km本八戸駅から南に500mと離れており、八戸市におけるほぼ中央となるやや高台の環境にある。八戸市庁商工会議所、銀行、小売業店舗がこの地域に集中しており、八戸三社大祭えんぶりなどの神事が行われているほか、はちのへホコテンや八戸七夕まつりなどの祭事も催されている[1][2]

中心街の歩み[編集]

八戸市中心市街地は、八戸藩における城下町発祥の地である。

江戸時代 - 戦前[編集]

1630年寛永7年)、西側の根城周辺に存在した根城町から三日町十三日町・廿三日町へ、東側の新井田城周辺に存在した新井田町から八日町・十八日町・廿八日町へと八戸城(柏崎城の説もある)周辺に移り、新しい城下町の町人町が設けられた。1664年寛文4年)、八戸藩の初代藩主南部直房により八戸城が正式に築城され、本格的な城下町となった。なお、この時設けられた城や溜池は現在では三八城公園八戸市庁八戸市公会堂八戸市美術館(旧八戸税務署)・八戸市立図書館(旧八戸市立長者小学校)・旧八戸市立柏崎小学校長者まつりんぐ広場(旧八戸市立市民病院)・長根運動公園本八戸駅といった施設の用地として利用されている。

明治大正時代に八戸大火で甚大な被害を受け、建築物はほとんど残らない状況にまでなった。一方で、第二次世界大戦中の空襲は終戦でかろうじて回避されたため、都市基盤は維持された。

戦後[編集]

第二次世界大戦後、アメリカ進駐軍の影響で1950年代前後に映画館が進出し、長横町や鷹匠小路(牢丁)の歓楽街が誕生した。また、旧国道45号では表通りと長横町通りを上り方向、裏通りと寺横町通りを下り方向として1968年昭和43年)に一方通行化が実施され、渋滞著しかった八戸市中心市街地内の交通円滑化が図られた[注釈 1]

長根では旧八戸公園における商業施設だった八戸タワー[注釈 2]と八戸市児童遊園地[注釈 3]の跡地に八戸市体育館と八戸市武道館が設けられた。これにより、長根運動公園の整備が図られていった。

1964年(昭和39年)の新産業都市指定を契機に都市化が進展してからは、三日町、十三日町を中心に、全国資本商業施設が相次いで進出し、商業集積に至った。本八戸駅周辺における内丸から、番町、三日町、十三日町、六日町、中央通り、八日町、十八日町、朔日町、廿三日町、十六日町、荒町、寺横町、大工町、鍛冶町などの各商店街が形成されてきた。昭和50年代には八戸市公会堂八戸市立図書館、昭和60年代には八戸市美術館などの集積も進んだ。

平成に入ると、商業施設の閉店が相次ぐ。1994年(平成6年)の三陸はるか沖地震により、八戸市中心市街地の商業ビル、八戸市庁、移転前の八戸市立市民病院などが大きく被害を受ける。

現在では、電線地中化が進められている。

商業施設立地の推移[編集]

ここでは、八戸市中心市街地の変遷について年表形式で記述する[3]

2010年代から長根運動公園における公共施設の移転が行われており、八戸市中心市街地の見通しは依然不透明である。また、江陽閣による再開発において八戸市主導で実用書を扱う店舗の整備が検討されていたものの、実用書は文明の利器であり文化にそぐわないという観点から批判が上がっており[4]、それが生かされて八戸ブックセンターの設置に至った[5]

中心街の通り[編集]

市日に合わせた数字の町名が多く、北の表通りにおけるそれぞれの町と南の裏通りにおけるそれぞれの町による数字を対にして合算すると必ず一の位が縁起の良いになるよう設定されていた(廿八日町と廿一日町・十八日町と十一日町・八日町と朔日町・三日町と六日町・十三日町と十六日町・廿三日町と廿六日町[6])。

表通り[編集]

江戸時代には表町(おもてまち)と呼ばれていた。八戸城下における町人町だった奥南の北部地区であり、表通りの両側に沿う形の東西に伸びる柏崎四丁目(塩町)・柏崎一丁目(廿八日町)・十八日町八日町三日町十三日町廿三日町荒町新荒町の総称として表町と言われていた。八戸市内で唯一、三車線が用意されている一方通行道路であり、国道340号における旧国道45号区間は電線地中化がほぼ完了しつつある[7]

裏通り[編集]

江戸時代には裏町(うらまち)と呼ばれていた。八戸城下における町人町だった奥南の南部地区であり、裏通りの両側に沿う形の東西に伸びる柏崎二丁目(下大工町廿一日町)・十一日町朔日町六日町(肴町)・十六日町(馬喰町)・廿六日町(七ッ屋)・大工町(上大工町)の総称として裏町と言われていた[8]

ネットワーク[編集]

ターミナルの構内略図。

八戸市中心市街地に位置するバス停留所は行先や名称が異なるため、2010年(平成22年)4月1日から一部の名称を「八戸中心街ターミナル」に統一し、旧称を副名称とした[9]。同年10月7日から「八戸中心街ターミナルモビリティセンター(モビセン)」が2016年(平成28年)3月31日まで設けられ、バスの案内なども行われていた。

  • 八戸中心街ターミナル1番のりば「三日町」
    • かつては「三日町(丸光前)」→「三日町(ビブレ前)」→「三日町(さくら野前)」という名称だった。ここは高速バスの降り場にもなっている。主に「市庁前」経由として「三日町」交差点を左折する。
  • 八戸中心街ターミナル2番のりば「八日町」
    • かつては市営バスにおいて「三日町(ダイヤビル前)」→「三日町(BeFM前)」、南部バスにおいて「八日町(BeFM前)」、十鉄バスにおいて「八戸八日町」→「八戸三日町」→「八戸八日町」という名称だった。主に「廿八日町」経由として「三日町」交差点を直進する。
  • 八戸中心街ターミナル3番のりば「中央通り」
    • かつては市営バスにおいて「三日町(長崎屋前)」→「三日町(笹川前)」→「三日町(中央通り)」、南部バスにおいて「八日町(中央通り)」という名称だった。また「中央通り」の名称は隣の「長横町」における前身(1990年代半ばまで)の名称でもあった。ここは2010年代半ばまで高速バスの乗り場にもなっていた。主に「長横町」経由として「三日町」交差点を右折する。
  • 八戸中心街ターミナル4番のりば「朔日町」
    • かつては「朔日町(一松堂(いっしょうどう)前)」という名称だった。主に「長横町」経由として「六日町」交差点を左折する。
  • 八戸中心街ターミナル5番のりば「六日町」
    • かつては「朔日町(ニチイ前)」→「六日町」だった。ここは高速バスの乗り場にもなっている。主に「十六日町」経由として「六日町」交差点を直進する。

高速バスの乗り場は「十一日町」→「中央通り」→「六日町」、高速バスの降り場は「八日町」→「三日町」と移設されている。

「三日町」交差点から「八日町」の間にある三八五観光の前には市営バスと南部バスの降車専用停留所がある。この停留所は十鉄バスによる三沢空港行きのバスにおける乗車専用停留所でもある。

このほか、主要停留所において待ち時間を知らせる電光掲示板の設置や、上限料金制の導入などが実施されている。

再生への模索[編集]

1970年代から八戸市中心市街地再開発構想が持ち上がっていた。1994年(平成6年)の三日町番町に亘る大規模な計画では商業施設・ホテル・駐車場を取り込んだ2.4haとなる再開発ビルの計画だった[10]。しかし、バブル崩壊による不況のため、核テナント誘致が困難な状況となった[11]1999年(平成11年)に「三日町番町地区市街地再開発事業計画素案」が策定され、一時期ではあるものの、総面積8.2haとなる再開発ビルの計画が再び浮上した[12]

そこで、八戸ポータルミュージアムの建設に至る。また、地場資本による回帰が進んでおり、田名部組による買収・開業、松和ビル・八戸ビルの江陽閣による買収・開業、フラワーエイトビルの東北資本による買収・開業といった動きが出てきている。さらに、八戸市庁に至近の番町では官民両面からマンションの建設もラッシュになっている。ただし、旧来の百貨店(三春屋とさくら野)・ファッションビル(チーノはちのへとヴィアノヴァ)を主体とした「2核1モール型」の構成には大勢において変化はない[13][14][15][16]

特徴[編集]

八戸市中心市街地は商業施設の閉店・公共施設の移転・モータリゼーションの進展などにより、空洞化が進行している。

一方で、地場資本百貨店2店(三春屋とさくら野)がそれぞれ中合グループとさくら野グループという東北資本百貨店へ再編されて自己資本不足ないしは閉店が防がれてきたこと、駅ナカ駅前における商業施設の開店が比較的抑制されてきたこと、八戸市中心市街地が南北だけではなく東西にも広がり始端から終端までの距離が長くなかったこと、容積が過剰な商業施設の建設が推進されてこなかったことなどにより、過去100年の間地域形態における概ね一定の維持に成功してきた。

現在では、2008年(平成20年)8月における八戸市中心市街地活性化基本計画の内閣府認定に対応して行政・市民・各関係者の間で協議・対策が採られ、マンション・ホテル・冠婚葬祭場・老人ホーム建設のほか、2011年(平成23年)には八戸市中心市街地地域観光交流施設の建設といった動きが出ている[17][18][19]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ なお、現在は八戸バイパス国道45号となっている。
  2. ^ 1968年(昭和43年)における三陸沖北部地震のために取り壊された。
  3. ^ その後、八戸市児童遊園地は新八戸公園に機能移管された。

出典[編集]

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  1. ^ 広報はちのへ平成27年3月号(2月20日発行) No.1279
  2. ^ 津波避難ハンドブック
  3. ^ 都市機能の高度化と地域対応 八戸市の「開発」と<場所の個性>
  4. ^ 八戸ブックセンター構想に賛否 - デーリー東北、2015年6月14日(47NEWS)
  5. ^ 八戸ブックセンター
  6. ^ 歴史(城下町八戸)
  7. ^ 角川日本地名大辞典 2 青森県
  8. ^ 角川日本地名大辞典 2 青森県
  9. ^ バス停名「八戸中心街ターミナル」に統一 - デーリー東北、2010年2月16日
  10. ^ 八戸市中心街を再開発 - 東奥日報、1994年8月30日
  11. ^ 八戸市八日町番町再開発計画縮小 - 東奥日報、1995年5月25日
  12. ^ 事業化区域を2.2haに設定 - デーリー東北、1999年6月23日
  13. ^ 八日町地区優良建築物等整備事業
  14. ^ 番町ヒルズ
  15. ^ ライオンズマンション番町
  16. ^ ポレスターアーバンシティ番町
  17. ^ 都市機能の高度化と地域対応 八戸市の「開発」と<場所の個性>
  18. ^ ■ニュース深堀り!■コンパクトシティー、地元企業に商機は?(1)
  19. ^ ■ニュース深堀り!■コンパクトシティー、地元企業に商機は?(2)

参考文献[編集]

  • 高橋英博『都市機能の高度化と地域対応 八戸市の「開発」と<場所の個性>』東北大学出版会、2002年1月。ISBN 978-4-92-508545-8
  • 『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川日本地名大辞典編纂委員会、角川書店、1985年12月。ISBN 978-4-04-001020-5

関連項目[編集]

外部リンク[編集]