八島太郎

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八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 惇(いわまつ あつし)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。

経歴[編集]

戦時情報局で八島が描いた伝単[1]

鹿児島県立第二鹿児島中学校から東京美術学校に進むが、軍事教練をボイコットしたため退学処分を受ける。その後、日本でイラストレーター・漫画で成功するが、日本の軍国主義に反対したため10回に渡り投獄される。友人であった作家小林多喜二が特高の拷問で死亡した際には、多喜二の死に顔をスケッチする。その後、1939年、芸術を学ぶためニューヨークに渡る。1943年、「The new sun(新しき太陽)」「ブラウン文庫 4827」を刊行したことにより、アメリカ合衆国で「野蛮なサルではない日本人もいる」という記事が載る。第二次世界大戦中は、戦時情報局(OWI)で働き、対日宣伝活動に加わる。沖縄侵攻作戦では、一人でも多くの日本人を救うため、命の重要さを説く詩を書き、戦略爆撃機から投下する沖縄の日本兵へ投降を呼びかけるビラの製作に携わった。

戦後、後に俳優として活躍する息子のマコ岩松をニューヨークに連れて行く。ニューヨーク・マンハッタンにおいて、Yashima Studioを立ち上げ、多くのアーティストたちと交流する。

1950年代初頭からは子供たちのための絵本の製作も始め、1955年に「Crow Boy(からすたろう)」、1958年に「Umbrella(あまがさ)」、1967年に「The Seashore Story(海浜物語)」でコールデコット賞次席。1972年、第23回フランスデヴィユ国際美術展でグランプリを受賞。

1994年、カリフォルニア州の自宅で85歳で死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 一ノ瀬俊也 『戦場に舞ったビラ : 伝単で読み直す太平洋戦争』 講談社〈講談社選書メチエ〉、2007年3月、初版、51頁。ISBN 9784062583848

関連項目[編集]