入笠山光学観測所

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JAXA入笠山光学観測所
運営者 JAXAIAT
コード 408
所在地 長野県伊那市高遠町芝平
座標 北緯35度53分58秒 東経138度10分29秒 / 北緯35.89944度 東経138.17472度 / 35.89944; 138.17472座標: 北緯35度53分58秒 東経138度10分29秒 / 北緯35.89944度 東経138.17472度 / 35.89944; 138.17472
標高 1870m
開設 1990年 (1990)
望遠鏡
タカハシε-350N口径350mm,焦点距離1248mm
タカハシBRC-250口径250mm,焦点距離1268mm
タカハシε-180口径180mm,焦点距離500mm
スペースデブリ用望遠鏡口径600mm
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入笠山光学観測所(にゅうかさやまこうがくかんそくじょ)は、長野県伊那市赤石山脈北端・入笠山1990年に設立された、JAXA(宇宙航空研究開発機構)IAT(航空宇宙技術研究所)が共同所有する天文台入笠山天体観測所[1]入笠山光学観測施設とも呼ばれる。

概要[編集]

JAXA総合技術研究本部の宇宙先進技術研究グループ・スペースデブリユニット観測技術セクションでは未知のスペースデブリや既知デブリの軌道決定を目的として、デブリの光学観測のための技術開発を行っている。「宇宙ゴミ」とも呼ばれる、運用を終了し制御ができなくなった人工衛星ロケットパーツ・その破片・部品からなるスペースデブリは、運用中の人工衛星や有人宇宙飛行にとって無視できない脅威となり監視対象となるからである。その観測技術開発・立証の拠点として光学観測所が設立されることになり、1990年に入笠山に入笠山光学観測所が完成した[2]。デブリ観測に有利な設計は小惑星捜索にも有利であるため、この2つが特化された観測対象となっている日本では数少ない観測施設である。

入笠山山頂付近の入笠高原・入笠牧場内標高1870m地点に設立されており、3台の高橋製作所製の天体望遠鏡と1台のスペースデブリ直接撮像用望遠鏡を備えている。高橋製作所の鏡筒はどれも市販されている望遠鏡で小~中口径であるが、後述のソフトウェアによる独自の画像処理により大口径望遠鏡に匹敵する観測成果を出している。1990年の設立時は牧場より数百m低い地点にあるアマチュアによる観測所(伊那市の隣の富士見町内にあたる)に併設する形で建てられたが、2000年代初頭に周辺の樹木による視界の狭さから、より開けた山頂付近に順次移設された。

IAU(国際天文学連合)による天文台コードは"408 Nyukasa"[3][4]

入笠山光学観測所で研究員の平沢正規鈴木正平によって1993年11月14日に発見された小惑星1993 VY3は入笠山の名前にちなんで(6416) Nyukasayamaと命名された[5]IAUに命名提案された際の命名文では、この山が美しい花々と景色で有名であることが言及されている。

観測システム[編集]

観測装置[編集]

現在の観測所の設立当初から設置されている2台の望遠鏡のうち1台目は口径35cmの高橋製作所ε-350Nで、天体捜索に有利な広い視野を確保できる機種である。この鏡筒を昭和機械製作所のフォーク式赤道儀25EFに搭載し、イギリスのe2V technology社のCCDイメージセンサを備えたナカニシイメージラボ社製水冷式冷却CCDカメラ(2k×2k 400万画素)が取り付けられている。2台目は口径25cmの高橋製作所BRC-250で、天文台によく採用されるリッチー・クレチアン式望遠鏡の中でも視野の広いベーカータイプの機種である。この鏡筒を昭和機械製作所のエキセントリックエルボ式赤道儀25ELに搭載し、e2V technology社の2k×4k(800万画素)のCCDイメージセンサを2枚用いた冷凍機式冷却CCDカメラ(4k×4k 1600万画素)が取り付けられている[2]

独自解析技術[編集]

観測で得られた画像は「重ね合わせ法」と「線分解析技術」を用いた独自のアルゴリズムによって解析される[6]恒星星雲などの天体は移動することがないため、画像の中で常に同じ位置に写っていることを利用し長時間かけて撮影した何十枚もの画像を重ね合わせることで、背景のノイズが減少しノイズに埋もれていた微光の天体が浮かび上がっていく。しかし小惑星やスペースデブリといった天体は時間がたつとともに夜空の中を日周運動とは別の固有の動きで移動することにより、通常の方法では重ね合わせることができないため1枚撮りの画像同士で移動している光点を検出するという手法で発見される。そのため恒星などに比べ移動天体の検出限界は悪い。

そこで入笠山光学観測所ではあらかじめ予想した移動天体の移動の仕方に合わせて、時間をかけて撮影した複数の画像を徐々にずらして重ねることで、微光の移動天体を浮かび上がらせるという重ね合わせ法による画像解析を行っている[2]

逆に静止衛星軌道上のスペースデブリは移動しないため、画像をずらして重ねると点ではなくそのずれの分だけ直線状に写る。こうした線分状の像を検出する線分解析技術を用いて、小惑星と同時にデブリ観測が可能となる[7]

この技術が初めて試された2002年には20等級を下回る小惑星が発見され、口径35cmの望遠鏡で発見された当時最も暗い小惑星とされている[6]。 のちにこのアルゴリズムはアストロアーツ社と共同で開発されたソフトウェア「ステラハンター・プロフェッショナル」[8]に搭載され、入笠山光学観測所での観測でも用いられている。

追加された観測装置[編集]

2016年1月には、上記の天体の移動に合わせて画像を重ねる手法を応用した、非常に高速で移動する地球近傍小惑星を発見するための小口径望遠鏡による観測システムをテストする目的で口径18cm反射望遠鏡高橋製作所ε-180が新たに設置された[9]。また、画像処理量が膨大になるため高速化のための分散アルゴリズムも実装されている[10]

2019年からは、スペースデブリを人工衛星を用いて除去する技術開発が世界中で行われていることを受け、除去対象のデブリの形状や運動を把握するためのデブリの形状などを直接観測する実験が始まり、専用の口径60cm望遠鏡が設置されている[11]。また従来のCCDイメージセンサから、天文分野でもより安価で急速に普及しているCMOSイメージセンサへの置き換えの研究も行われている[12]

観測成果[編集]

スペースデブリの観測[編集]

LEOと呼ばれる低軌道上のスペースデブリは観測施設が日本含め世界中に点在しているのに対し、GEOと呼ばれるより高度の高いデブリを検出する観測施設の整備は日本国内では比較的遅れていたが、入笠山からは20cmほどのサイズの高高度デブリを検出する観測が実現している[13]。さらにより高度の高い静止軌道に位置しているデブリでも40cmほどのサイズのものを検出することができている。

国際的な観測の協力体制にも参加しており、同様の観測を行っているフランス国立宇宙研究センターイタリア宇宙機関とも観測協力体制や使用ソフトウエアの比較などが実現している[14]。スペースデブリに関する国際組織IADC(Inter-Agency Space Debris Coordination Committee)が共同観測キャンペーンを行った際は未発見のデブリを38個発見した[15]。 また、アメリカが1968年に打ち上げたタイタンロケットの破片が軌道上で分裂・崩壊した際は台湾鹿林天文台と協力して未発見の破片を大量に発見した[16]

低軌道のデブリの観測も行っており、2007年1月に中国が弾道ミサイルによる低軌道気象衛星の破壊実験を行った際には発生したデブリをいち早く検出している[17]

2019年から始まった60cm望遠鏡によるデブリの直接観測の実験では、軌道上のH-IIAロケット部品の形状を直接捉えることに成功しているほか、高高度にある10cmを下回るサイズのスペースデブリの検出が見込まれている[18]

小惑星の観測[編集]

日本からの小惑星の発見は1990年代までは、口径20~30cm級の望遠鏡を所有するアマチュア天文家の活躍により多数の成果を挙げていたが、1990年代末から研究機関の口径1m近い大望遠鏡で空をくまなく探す掃天観測を行うLINEARNEATSpace-watchなどのプロジェクトが発見を独占するようになる。2000年代初めには全世界で発見される小惑星の明るさの多くは20等級ほどになり、18~19等級の天体までしか発見できない日本のアマチュアには歯が立たなかった[19]。しかし20等級より暗い天体を発見できる入笠山光学観測所により、再び日本国内からの小惑星発見がされるようになった[3]。 観測は期間を新月前後の数夜に限られて行われているが[20]、それでも累計で数百個の小惑星を発見している。3分露光の画像を40枚ほど重ねる手法で観測が行われており、22等級よりも暗い小惑星も発見されている。同じく日本国内から、口径100cm望遠鏡を用いて重ね合わせを行っていない3分露光の画像を用いて小惑星を捜索している美星スペースガードセンターと比べても、1等級以上暗い小惑星が発見されている[2]

2010年代に入るとPan-STARRSなど口径2m近い望遠鏡による24等級の天体まで発見できる強力なプロジェクトが台頭し、小惑星センターがこういった大規模プロジェクトからの発見報告を優先的に整約するようになってから日本からの発見は再び年間で数個になっている。それでも地球に接近した時のみ短期間に限り明るくなる地球近傍小惑星においては、他のプロジェクトが発見できない時間・領域をカバーするように先どって発見することができ、引き続き成果を出している[21]

また、このソフトウェアシステムを用いた小惑星捜索の流れを中高生に体験させる学習プログラムを実施している[22]。元々は観測所の中島厚研究員の出身校である長野県須坂市立相森中学校の創立60周年事業で同校の中学生が捜索の体験を行ったのが最初だったが[23]、その後長野県伊那北高等学校や地元小中学校の課題研究学習に採用され[24]、ほかに慶応義塾高校東京工業大学附属科学技術高等学校なども参加している[25]。 なお相森中学校の生徒が発見した小惑星の1つに、発見から10年後の創立70周年事業において(187531) Omorichugakkou(相森中学校)と命名されている[26]

天体発見数[編集]

入笠山光学観測所で発見された小惑星小惑星センターに登録される際、発見者が観測者個人となる場合(入笠山光学観測所では2人組が共同発見者として同時に登録される例が多い)と観測所名義('Nyukasa'と登録される)となる場合が交ざっている。また、小惑星が発見されるとまず複数夜の観測を経て天体に仮符号が割り振られたのち、数年以上の追観測を経て番号登録がなされるが、入笠山光学観測所のメインターゲットである地球近傍小惑星は地球接近時の限られた日数以外は非常に暗いため追観測ができず、番号登録まで至らない天体も数多い。

発見者別の小惑星発見数(番号登録されたもののみ、2021年8月18日時点)[27]

発見者の登録名義 個数
入笠山光学観測所 116
平沢正規&鈴木正平 共同 52
中島厚&黒崎裕久 共同 7
中島厚&反町洋祐 共同 2
中島厚&二葉文彦 共同 2

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 設立当時に隣接していたアマチュアによる観測所と同じ呼び方で、移転後残されたアマチュア施設は現在もそう呼ばれる場合が多い
  2. ^ a b c d H.Kurosaki; T.Yanagisawa, A.Nakajima (2008). “Discovery Technology for Unknown Minor Planets on Nyukasa Highland”. Spaceguard Research 1: 88-91. doi:10.11230/jsts.24.2_11. 
  3. ^ a b MPEC 2006-Y22 : 2006 YM”. IAU. 小惑星センター. 2021年8月18日閲覧。
  4. ^ List of Observatory Codes”. IAU. 小惑星センター. 2021年8月18日閲覧。
  5. ^ (6416) Nyukasayama = 1982 UC10 = 1987 SM18 = 1992 PN6 = 1993 VY3”. MPC. 2021年8月19日閲覧。
  6. ^ a b T.Yanagisawa (2011). “Ground-Based Observational Technologies for Faint Space Debris”. 光学 40 (7): 337-343. 
  7. ^ T.Yanagisawa (2011). “Fast Analysis Methods for CCD images of GEO Debris Observations”. 光学 40 (3): 64-68. 
  8. ^ JAXAのチームがステラハンターで発見した小惑星、番号登録される”. アストロアーツ. アストロアーツ. 2021年8月19日閲覧。
  9. ^ JAXAの小惑星発見技術と今後の観測手法の提案”. 柳沢俊史. 2021年8月19日閲覧。
  10. ^ 中島厚 (2008). “Space Debris Optical Observation Technologies in IAT/JAXA”. UNCOPUOS/STSC (JAXA) 2008 (B): 3. 
  11. ^ T.Yanagisawa; M.Hayashi et al. (2021). “Correlation Between Light Curve Observations and Laboratory Experiments Using a Debris Scale Model in an Optical Simulator”. Advances in Astronautics Science and Technology 20. doi:10.1007/s42423-021-00075-4. 
  12. ^ T.Yanagisawa; H.Oda et al. (2016). “Detection of LEO Objects Using CMOS Sensor”. Trans. JSASS Aerospace Tech. Japan 14 (30): 51-55. doi:10.1007/s42423-021-00075-4. 
  13. ^ H.Kurosaki; T.Yanagisawa (2011). “Optical Observation Facility for GEO Debris Survey”. JAXA Research and Development Memorandum (JAXA) 7 (11): 1-11. 
  14. ^ Paolillo, Fabrizio et al. (2010). “Comparison between ASI, CNES and JAXA CCD analysis software for optical space debris monitoring”. 38th COSPAR Scientific Assembly 18 (15): 7. 
  15. ^ T.Yanagisawa et al. (2009). “Collaborative observations to search 1968-081E fragments”. Proceedings of the Advanced Maui Optical and Space Surveillance Technologies Conference E: 91. Bibcode2009amos.confE..93Y. 
  16. ^ M.Uetsuka et al. (2012). “Collaborative observations to search 1968-081E fragments”. 39th COSPAR Scientific Assembly 13 (12): 2027. Bibcode2012cosp...39.2027U. 
  17. ^ A.Nakajima et al. (2009). “Optical Observation of LEO Debris Caused by Feng Yun 1C”. Transactions of Space Technology Japan 7 (26). Bibcode2009TrSpT...7Tr241K. doi:10.2322/tstj.7.Tr_2_41. 
  18. ^ スペースデブリの観測技術の研究”. JAXA. 2021年8月21日閲覧。
  19. ^ 入笠高原での小惑星観測の現状”. 黒崎裕久. 2021年8月18日閲覧。
  20. ^ 7夜で66個の小惑星を発見、JAXA総研本部宇宙先進技術研究グループスペースデブリセクションの活躍”. アストロアーツ. アストロアーツ. 2021年8月22日閲覧。
  21. ^ 地球接近小惑星を発見しました(2017年1月17日, 31日)”. JAXA研究開発部門. 2021年8月18日閲覧。
  22. ^ 中島厚; 黒崎裕久 (2008). “JAXA入笠山光学観測所を利用した高校生等による小惑星・デブリ探索”. 宇宙科学技術連合講演会講演集 (JAXA) 52 (2J): 16. 
  23. ^ その名は「相森中学校」長野の生徒発見”. 2017年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  24. ^ 小・中学生を対象にした、星と宇宙の教室2011「小惑星探査プロジェクト」開講”. 信州大学. 2021年8月19日閲覧。
  25. ^ 小惑星ハンティングプロジェクト(DHP)”. 東京工業大学附属科学技術高等学校 科学部. 2021年8月19日閲覧。
  26. ^ (187531) Omorichugakkou = 2006 UM63 = 2004 CT88”. MPC. 2021年8月19日閲覧。
  27. ^ Minor Planet Discoverers”. MPC. 2021年8月21日閲覧。

関連項目[編集]

座標: 北緯35度54分05秒 東経138度10分18秒 / 北緯35.901389度 東経138.171667度 / 35.901389; 138.171667