光雲神社

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光雲神社
Fukuoka Terumo shrine 2010A.jpg
所在地 福岡県福岡市中央区西公園13-1
位置 北緯33度35分50秒
東経130度22分35秒
座標: 北緯33度35分50秒 東経130度22分35秒
主祭神

水鏡権現(黒田孝高
武威円徳聖照権現(黒田長政

社格=県社・別表神社
創建 明和6年(1766年
例祭 4月20日10月4日
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光雲神社(てるもじんじゃ)は、福岡県福岡市中央区西公園にある神社

概要[編集]

社格県社で、現在は神社本庁別表神社筑前福岡藩祖・黒田孝高(龍光院殿、如水)と、その子で初代筑前福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀る。社名は両神の法名から光と雲の一字ずつをとったものである。

境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里友信(太兵衛)の銅像があり、銅像下部には母里をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれている。また、長政が愛用した水牛の兜の像もある[1]

摂社堅盤神社には、四神として黒田重隆黒田職隆黒田忠之厚姫黒田継高娘、醍醐冬香許嫁)が祀られている。額は黒田家15代当主、黒田長久揮毫

歴史[編集]

境内社・荒津神社
境内社・堅磐神社

明和6年(1766年)、6代目福岡藩主の黒田継高が、長政を「武威円徳聖照権現」として福岡城二の丸、祈念櫓下に祠を創建し、祀ったのに始まる。 ついで黒田孝高を「水鏡権現」として合祀した。

明治4年(1871年)、廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、有志が11代藩主長溥に懇願し、福岡城内の祠堂より小烏吉祥院跡に新たに祠堂を建立した。明治8年(1875年)に県社に列格した。

明治42年(1909年)に現在地の西公園に再移転、遷座した。この地は元々、2代福岡藩主、黒田忠之が建立した荒戸山東照宮(徳川家康を祀る東照宮を分祀したもの。筑前国続風土記に依れば各地の東照宮に劣らぬ壮麗華麗な社殿群であったと伝わる。)があった。

昭和20年(1945年)に福岡大空襲で全焼。社殿や黒田家所縁の文書や刀剣、御宝物などが焼失。昭和41年(1966年)にコンクリート作りで再建された。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 光雲神社 福岡市中央区ホームページ