光宗 (宋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
光宗 趙惇
南宋
第3代皇帝
宋光宗坐像 軸.jpg
王朝 南宋
在位期間 1189年2月18日 - 1194年7月24日
姓・諱 趙惇
諡号 循道憲仁明功茂徳温文順武聖哲慈孝皇帝
廟号 光宗
生年 紹興17年9月4日
1147年9月30日
没年 慶元6年8月8日
1200年9月17日
孝宗
成穆皇后郭氏
后妃 慈懿皇后李鳳娘
陵墓 永崇陵
年号 紹熙:1190年1194年

光宗(こうそう)は、南宋の第3代皇帝

生涯[編集]

1147年、孝宗の子として生まれる。1189年に孝宗の譲位を受け、皇帝として即位する。しかし朝廷の実権は上皇となった孝宗が掌握していた。また、光宗も病弱な上に暗愚であったため、皇后李氏による専横を招き、上皇と李氏の対立が発生、光宗も上皇と立太子を巡る対立が原因で不和になった。

1194年に孝宗が死去すると、趙汝愚韓侂冑などは太皇太后呉氏高宗の皇后)と協力して光宗を退位させ、その子である寧宗が擁立された。以後は一切の政治と離れ、1200年に54歳で崩御した。

備考[編集]

先々代高宗の娘を自称する1人の老婦が光宗時代の南宋に突然現われている。連行途中で脱落し、鄧元亮に養われて江西で成長したという。光宗は彼女の身分を認め、郡主の位を授けた。高宗は康王時代に5人の娘がおり、いずれも靖康の変に際し北遷された。

  • 趙仏佑(康大宗姫):北遷時4歳、後に洗衣院に入れられた。
  • 趙神佑(康二宗姫):北遷時4歳、後に洗衣院に入れられた。
  • 康三宗姫:北遷時3歳、その途中夭逝。
  • 康四宗姫:北遷時2歳、その途中夭逝。
  • 康五宗姫:北遷時2歳、その途中夭逝。

本物であるとすれば、北遷時に幼くして夭折したとされる康三宗姫・康四宗姫・康五宗姫の3人のいずれかであるが、老婦の詳細な素性までは記録に残っていない。

年号[編集]

紹熙:1190年1194年

宗室[編集]

父母[編集]

妻妾[編集]

  • 慈懿皇后李鳳娘
  • 貴妃黄氏
  • 貴妃張氏、婕妤符氏[1]
  • 婉容武氏、美人呉氏
  • 国夫人李進進、国夫人潘氏、国夫人張氏

男子[編集]

  • 趙挺(夭折)
  • 趙拡(寧宗

女子[編集]

  • 文安公主
  • 和政公主
  • 斉安公主

脚注[編集]

  1. ^ 光宗の崩御後、貴妃張氏と婕妤符氏は実家へ返され再嫁した。