元町高架通商店街

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元町高架通商店街(もとまちこうかどおりしょうてんがい)は、JR阪神元町駅神戸駅間の高架下に運営されている商店街である。通称はモトコーとされているが、三宮高架下と一括して「高架下」と呼ぶのが一般的。住所としては神戸市中央区元町高架通に属する。

三宮センター街元町商店街といった神戸の表向きに観光客や買い物客を多く集める商店街の裏通り的存在としてマニア、および外国人の通る姿が多く見られる通りである。

成り立ち[編集]

元町高架通商店街として正式に形成された年度についての資料は乏しいが、戦後の闇市をルーツとする説がもっとも多くある。

三ノ宮~元町~神戸間の高架化はそれ以前の1934年昭和9年)に行われており、当時元町駅の位置にあった三ノ宮駅が現在の位置に移動されているため、商店スペースはこの時期にはできていたと考えられるのが自然である。

2013年に発表された研究によると、戦後の闇市「三宮自由市場」の西部店舗群が「松明会」による統括と組織化を経て1946年12月に「元町高架下商業協同組合」が発足し1947年6月に「元町高架通商業協同組合」と改称され、「元町高架通商店街」が成立したと推察されるという[1]

概要[編集]

店舗形態[編集]

小規模平屋店舗がほぼすべてであり、2階部分が住居になっていると思われるものが多い。通路もかなり狭く、基本的に徒歩以外の方法ではすれ違うことにも苦労をする。イメージとしてはフリーマーケットが店舗を構えたようなもの、と捉えると把握しやすいだろう。

相当に古い看板から往年の歴史が想定できる店舗がある一方、数ヶ月単位でめまぐるしく入れ替わる小規模店舗もあり流動も大きい。

運営形態[編集]

個人商店が多いが、企業による経営もある。 ペットショップ、メンズ、子供服などの衣料品や、最近では、パワーストーン、占い、美容院そのほか、古いゲームのカセットのみ、着物の直しのみ、古着や中古家電製品など専門特化の激しい店舗も多く見られる一方で、販売される物品についても統一性の無いことがかなりある。 また、音楽カセットテープや旧式PCのようなすでに市販ルートから外れている商品も多く見られる。

現在でもアジア中心に海外とのつながりの深い神戸港の影響によりアメリカ、中国、韓国、東アジア、東南アジアからの輸入品を扱った店が多く見られるのも特徴のひとつである。

客層[編集]

隣接する高架下であるピアザKobeと比較すると若年層の割合が低目となる。照明がやや暗くおしゃれよりややアングラな雰囲気が勝つためにデートコースなどからは外れる。

観光客もしくはバイヤーが日本製の中古電化製品等を求めに来る姿がほぼ日常風景である。

阪神淡路大震災とモトコー[編集]

阪神・淡路大震災において神戸市街地の商店街はアーケードの破損などにより大きな被害を受け、営業ができない店舗が多かった。

しかし元町高架通商店街はその中では珍しく震災の被害が軽微であり、商店街の店主はいち早く復旧することによって復旧初期の神戸の灯として経営されることになった。

被害軽微の理由として以下のことがあげられる。

  • 店舗の面積が小さく、壁面積の占める割合が多かったこと
  • 鉄道の高架を支えるために地盤が強靭に作られていること

しかし、2015年12月になって、土地を所有するJR西日本が、高架下の耐震補強工事に取り掛かることを理由として各店舗に退去を打診するようになっており、存続の危機に瀕している[2]

元町高架通商店街が登場する作品[編集]

各商店街の名称[編集]

(JR三ノ宮駅)

  • 三宮高架下 (ピアザKobe)

(JR元町駅)

  • 元町高架1
  • モトコー2番街
  • 元高3番街
  • モトコー4 (花隈南商店街)
  • モトコー5 (モトコーファイブ)
  • モトコータウン6 (あじさいの街)
  • モトコー7番街

(JR神戸駅)

脚注[編集]

  1. ^ 村上しほり「戦後神戸の都市環境形成に関する研究 ―JR元町‐神戸駅間鉄道高架下における店舗形成と変容課程に着目して―」、『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』第7巻第1号、神戸大学、2013年9月、 87-93頁、 ISSN 18822851
  2. ^ モトコー 消える昭和? 存続の危機…神戸 毎日新聞 2016年5月18日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]