偽の真空

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スカラー場 (φ) における真空エネルギー状態 (E) のグラフ。真の真空 (true) は偽の真空 (false) よりも基底状態のエネルギーが低い。偽の真空が真の真空へ移行するには、高エネルギーの粒子を与えるか、トンネル効果が必要となる。

偽の真空(ぎのしんくう、false vacuum)とは、場の量子論における準安定状態の一種である。 これに対し、最低エネルギー固有状態として定義された真空真の真空(しんのしんくう、true vacuum)と呼ばれる。 偽の真空は最終的にトンネル効果による相転移を経て真の真空へ遷移する。

概要[編集]

場の量子論における真空は最低エネルギー固有状態として定義される。 これに加え、一般に、近似的に真空とみなせる準安定状態が存在しうる。これが偽の真空である。 偽の真空は完全に安定ではなく有限の寿命を持つ。 スカラー場の理論において、真の真空ではポテンシャルが最小の値をとるが、 偽の真空ではポテンシャルが最小値ではない極小値をとる。 この極小値周りのポテンシャル障壁により、偽の真空は古典的には安定となる。ただし、後述する通りトンネル効果による遷移を経て真の真空へと崩壊する。 このトンネル効果の大きさが偽の真空の寿命を決定する。

現在の真空の不安定性[編集]

138億年の歴史を経て、現在の宇宙は十分にエネルギーの低い状態になっていると考えられる。 しかし、現在の真空が真の真空ではなく、偽の真空である可能性は排除できない。[1][2][3][4][5][6][7]。 その場合、偽の真空の寿命は138億年より十分長いものであるはずである。

標準模型が十分高いエネルギースケールまで正しい理論であることを仮定すると、 我々の宇宙の真空が真の真空なのか偽の真空なのかは、ヒッグス粒子トップクォーク質量により知ることが出来る[3][2][8][9]。このうちヒッグス粒子の質量は、2012年7月4日に発表された値では 125.3±0.5 GeV[10] または 126.0±0.4 GeV[11] とある程度正確に求まっているが、トップクォークの質量は 172.9±1.5 GeV[12] とやや精度が荒い。このため、現在の理論では真空の安定性は安定と準安定のちょうど境界に位置する事になる[3][8]。なお、ヒッグス粒子を事実上発見したという発表のあった2013年3月14日以降に、一部に「真空が準安定状態である」事が確定したというような記事が存在するが、これはトップクォークの質量の不確かさを考慮しないで書かれた誤報である[13]。トップクォークのより正確な結果を求めるには、現在あるテバトロン[注釈 1]LHCでは難しく、次世代の加速器であるILCの登場を待たないといけないとされている[3]

真空の崩壊[編集]

もし、現在の我々がいる宇宙の真空が偽の真空だった場合、ポテンシャルの極小値に停留している状態に過ぎない。例えると、坂道を転がるボールが、坂を下りきる途中の穴に転がり落ちた状態である。ポテンシャルの障壁を乗り越える、すなわち落ちたボールが外に飛び出て再び坂を転がるには、ボールが穴から強く蹴り上げられるか、穴の横の地中を直接通り抜けて再び地面に戻るかのどちらかの方法をとらなければならない。現在の真空が相転移するこの現象を「真空の崩壊」と呼ぶ[4]

ボールを強く蹴り上げるというのは、真空に高エネルギーを与える事である。具体的には、高エネルギーの粒子の衝突で発生する。このような例で身近なのは、加速器で粒子を加速させ衝突させる実験である。実際、LHCの建設や運用の反対運動の中には、真空を崩壊させる可能性も理由として含まれていた。しかし、最大で約10TeVの出力を持つLHCに対し[14]、自然界には超高エネルギー宇宙線と呼ばれる、最大で320EeV[15][注釈 2]と、実にLHCの3000万倍もの高エネルギーな宇宙線が絶えず地球大気を構成する粒子に衝突している。このため、宇宙のどこかで真空の崩壊が発生したとしても、それは自然現象における高エネルギー現象であり、人為的な行為で発生する可能性はきわめて低い[16]

ボールが地中を移動するというのは、古典的に考えればトンネルを掘らない限りは不可能に思えるが、量子論では不確定性原理により、あたかもトンネルを掘ったかのように障壁を乗り越えてしまう事がある。これをトンネル効果と呼ぶが、これは確率の問題であり、どのような場合に起こるかは不明である。ただし、ポテンシャルの障壁が大きい場合には、その確率は低くなるが、ゼロにはならない[8]

仮に真空の崩壊が宇宙のどこか1点でも発生した場合、ポテンシャルの差による膨大なエネルギーが生ずる。それによって、周りの偽の真空も連鎖的に真の真空へと相転移する連鎖反応が発生する。それはちょうど、偽の真空に包まれた空間の1点に真の真空の泡が発生し、それが膨張するように見える[13][8]。発生した真の真空は体であり、エネルギーは体積に比例するため、真の真空の泡の単位表面積あたりのエネルギーは泡の膨張と共にますます増加していく。泡は光速で膨張すると考えられ、泡の表面は極めて高エネルギーであるため、触れた全ての構造は一瞬にして崩壊してしまう[13]。また光速でやってくる以上、実際に泡に衝突するまで、観測者が泡の存在を知ることは不可能である[8]。真の真空に相転移すると各種の物理定数は変化するため、どの値をとるにせよ、現在我々が知る構造は発生し得ないと考えられる[4]

なお、実際に真空の崩壊が起こったとしても、先述の通り真の真空の泡は光速でやってくる。そのため、この宇宙のどこかで今この瞬間発生したとしても、人類が住んでいる場所[注釈 3]に真空の崩壊が達するのは数十億年も先であると推定される[13]。なぜならば、真空の崩壊をもたらすような物理現象は宇宙空間のどの場所においても均等な確率で発生するため、数十光年という極めて小さな範囲で発生する確率よりも、数十億光年という大きな範囲で発生する確率の方がはるかに高いためである[8][17][注釈 4]。もっとも真の真空の泡が観測できないものである以上、それは既に発生しており、人類が住んでいる場所の近くにまで迫っている可能性も、否定はできない事になる。

注釈[編集]

  1. ^ そもそもテバトロンでは、現在の真空が不安定であるという結果すら生じる可能性があるほど荒い。
  2. ^ この値は史上最も強力な宇宙線での記録。この宇宙線にはオーマイゴッド粒子という固有名がある。
  3. ^ 例えば地球
  4. ^ もし数十億年という時間スケールならば、先に太陽が寿命を迎え、地球が死の星になっている方が早いかもしれない。

出典[編集]

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関連項目[編集]