倭漢書県

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倭漢書県
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:倭漢、書
主君 舒明天皇皇極天皇
氏族 倭漢書
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倭漢書 県(やまとのあやのふみ の あがた)は、飛鳥時代の人物。氏は倭漢あるいはとも記される。

経歴[編集]

舒明天皇11年(639年百済川の辺(現在の奈良県北葛城郡広陵町百済)に百済宮と百済大寺を建てた際、大匠(建築技師の責任者)を務める[1]皇極天皇元年(642年)舒明天皇の崩御に際して、百済国から来日した弔問使のもとへ阿曇山背比羅夫草壁磐金と共に百済国の様子を訪ねるために遣わされ、義慈王即位後の百済の政変に関する情報を入手した[2]

白雉元年(650年遣唐使で利用するための百済船の造船を行うため、白髪部鐙・難波胡床と共に安芸国へ派遣されている[3]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』舒明天皇11年7月条
  2. ^ 『日本書紀』皇極天皇元年2月2日条
  3. ^ 『日本書紀』白雉元年条

参考文献[編集]

  • 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社学術文庫、1988年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年