俵坂番所跡 (佐賀県嬉野市)

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俵坂番所跡(たわらざかばんしょあと)は、佐賀県嬉野市にある江戸時代番所の管轄(口留番所)のため、正しくは「俵坂口留番所」である[1]戦国時代にすでに番所としての機能があったと伝えられる。
江戸時代になると長崎街道として佐賀藩大村藩両藩の藩境の要地となり、特にキリシタンの取り締まりが厳しかった。
敷地面積二百余坪、建物は間口4間(7.2m)奥行き7間(3.6m)の構えで侍1名、足軽9名が監視にあたって、通路には門柱が建てられ、その両脇にはが巡らされていた。
明治維新を迎え、1871年(明治4年)の廃藩置県によって廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 【フォト巡礼】「俵坂口留番所跡」 | 長崎県”. www.pref.nagasaki.jp. 2021年7月9日閲覧。

出典[編集]

  • 嬉野市教育委員会