俣野の土居城

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俣野の土居城
鳥取県
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 日野山名氏
築城年 室町時代前期
主な改修者 不明
主な城主 山名義幸山名藤幸
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、堀、堀切、井戸、虎口
指定文化財 なし

俣野の土居城(またののどいじょう)は、鳥取県日野郡江府町俣野に存在した館跡(日本の城)。標高348m、比高30m程の丘の上に存在していた。

歴史[編集]

山名氏の一統・日野山名氏の館跡と伝わる。室町時代前期に築かれたとされ、山名義幸が隠居した場所とする説も存在する。地元には「ナニガシノフジユキ」なる人物の館であったとも言われ、『伯耆民談記』などはこれを戦国時代武将山名藤幸としているが諸説あり不明である。少なくとも館の造りから相当な財力を持った者の館跡であることには間違いはなく、山名氏との何らかの関連があると思われる。

構造と遺構[編集]

館の構造は単郭方形館で櫓台と見られる出張部が存在した。周囲には土塁などを配しているが、その構造は単純なもので鎌倉時代南北朝時代に見られる初期的な形態になっている。(もっとも、伯耆国における平地の城館の大半は戦国期になってもこのような形態を示している)土塁の高さは4m程で虎口も簡単な「平入り虎口」と呼ばれるものである。防御性はさほど高くはないため、日常の住まいとして使用されたと推定される。また、堀を挟んで居館部の前には馬場跡とされる平坦地が存在する。江府町教育委員会の発掘により、柱穴や排水施設などが確認されている。一部は畑地として利用されてはいるが全体の保存状態は完存に近く、良好な状態である。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 錦織勤「鳥取県中世城館の特質」(『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会、2004年3月)
  • 『俣野尾之上原土居城跡調査報告書』(江府町教育委員会、2001年)
  • 吉田浅雄「伯耆山名一族の城館跡」(『山名第四号』山名史料調査会、1998年)