保甲制度

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保甲制度(ほこうせいど, baojia )とは、中国代から始まる行政機関の最末端組織のこと。10戸で「」を、10甲で「」を編成する。中華人民共和国成立時に廃止された。

概要[編集]

保甲制度は中国における最末端の政治機関で、その起源は遠く商鞅の制度に由来する。商鞅は軍事組織の仕組みを民間に応用し、5戸で構成される「什五」という組を設け、連帯責任を負わせた。日本でいうところの五人組である。

その後、宋の王安石により、保甲制度が確立された。また、明の王守仁は地方官時代に「十家牌法」を定めて郷約と呼ばれる内部規約を導入して、民衆教化組織としての要素を持たせた。編成される戸数や制度の名称は若干変わったりしたものの、基本的な部分は20世紀まで続いた。

日本統治時代の台湾[編集]

関連項目[編集]