保久良神社

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保久良神社
境内の枝垂れ桜
所在地 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680
位置 北緯34度44分8秒
東経135度16分35秒
主祭神 須佐之男命
大国主命
大歳御祖命
椎根津彦命
社格 式内社(小)
創建 不明
例祭 5月4・5日
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保久良神社(ほくらじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区本山町保久良山金鳥山中腹)に鎮座する神社である。旧社格式内社

須佐之男命大国主命大歳御祖命椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を配祀する。

歴史[編集]

創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土している。その何れもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、玻璃性勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる[1]

保久良神社由緒書によると「社名の起因も1、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る 2、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征速吸門明石海峡)に現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。[2]

椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背に乗ってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった[3]

吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している[4]。 また、「住吉大社神社記」には布久呂布山の名が見え、「攝津志」には建長二年重修の棟札を所持せる事が記載されている。

社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。その言われは、日本武命熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、航海者の一針路となっていた[5]

市街に近いので再度山高取山、旗振山らと同じように、「毎日登山」が行われており1000回以上の登山者が多数いる。

祭礼[編集]

  • 1月20日 大俵祭
  • 5月4・5日 例大祭
  • 7月14日 名越祭
  • 8月11日 祖神祭

交通[編集]

参考文献[編集]

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  1. ^ 「神戸の神社 市内310社案内」2000年、兵庫県神社庁神戸市支部 編著
  2. ^ 「兵庫県の歴史散歩 上:神戸・阪神・淡路」2006年、山川出版社
  3. ^ 「神戸の神社 市内310社案内」2000年、兵庫県神社庁神戸市支部 編著
  4. ^ 「日本の神々―神社と聖地―3  摂津・河内・和泉・淡路」2000年、谷川健一、大和岩雄、落合重信、河尻正、小林章、武田信一、田村利久、東瀬博司、濱岡きみ子、林利喜雄、古田実、松下煌、松本翠耕 編著 白水社
  5. ^ 「神戸の神社 市内310社案内」2000年、兵庫県神社庁神戸市支部 編著