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作楽神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
作楽神社
所在地 岡山県津山市神戸433
位置 北緯35度3分44秒 東経133度56分35秒 / 北緯35.06222度 東経133.94306度 / 35.06222; 133.94306 (作楽神社)座標: 北緯35度3分44秒 東経133度56分35秒 / 北緯35.06222度 東経133.94306度 / 35.06222; 133.94306 (作楽神社)
主祭神 後醍醐天皇
児島高徳
社格 県社
創建 明治2年(1869年)
本殿の様式 神明造
例祭 4月第2日曜日
地図
作楽神社の位置(岡山県内)
作楽神社
作楽神社
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『桜の詩』(尾形月耕『日本花図絵』)桜の木に漢詩を彫る児島高徳

作楽神社(さくらじんじゃ)は、岡山県津山市神戸にある神社である。鎌倉時代から室町時代にかけて美作国守護の館(「院庄館」)があった地に、後醍醐天皇とその忠臣児島高徳を祭神として、明治2年(1869年)、津山藩松平慶倫により創建された。

境内には約100本のソメイヨシノが植えられている。また、神社の敷地全体が、国指定の史跡「院庄館跡(児島高徳伝説地)」となっている。

由緒

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元弘元年(1331年)、鎌倉幕府打倒に失敗し囚われの身となった後醍醐天皇は、光厳天皇への譲位を強制された後、翌年3月になって京から隠岐配流されたが(元弘の乱)、その途上、美作国院庄の守護館に宿泊した。一方、備前国土豪児島高徳は手勢を率いて、護送の途中で先帝(後醍醐天皇)を解放しようと企てたが、好機を見いだせないまま院庄まで追跡してきていた。厳重な警護をかいくぐり守護館の庭に単身潜入した児島は、桜の木の幹を削って白くなった所に、次のような十字詩を刻んだ(「白桜十字詩」と呼ばれる)。

天莫空勾践 時非無范蠡
【書き下し文】天、勾践を空(むな)しうすること莫(なか)れ。時に范蠡無きにしも非ず。
【大意】天は、呉との戦いに敗北し捕らわれた越王・勾践を見捨てなかったように、先帝を見捨てることもありません。勾践に范蠡という忠臣がいたように、先帝を助け出す忠臣が必ず現れましょう。

江戸時代に至り、津山藩家老長尾勝明は児島高徳の忠義心を讃え、貞享5年(1688年)にその桜の木があったと伝わる場所に高徳顕彰碑を建てた(現存、外部リンク参照)。

明治元年(1868年)、津山藩主松平慶倫は政府より神社創設の許可を得て、翌明治2年11月27日西暦1869年12月29日)に社殿竣工、作楽神社の創建となった。

沿革

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  • 1922年大正11年)3月8日、敷地全体(30,189平方メートル)が、「院庄館跡(児島高徳伝説地)」として国の史跡に指定された。
  • 1973年(昭和48年)11月から1974年(昭和49年)3月までと1980年(昭和55年)11月から1981年(昭和56年)1月までの2度にわたり、津山市教育委員会によって発掘調査が行われた。
  • 達筆であった後醍醐天皇と児島高徳にあやかり、1981年(昭和56年)以降、毎年1月中旬(2007年は1月14日)に、古筆感謝祭(筆まつり)が行われている。

神紋

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丸に桜花

社宝

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主な年中行事

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  • 古筆感謝祭(1月中旬)
  • 例祭(4月第2日曜日)

交通

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関連項目

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外部リンク

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