佐野元国

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佐野 元国
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市磯子区
生年月日 (1958-03-06) 1958年3月6日(59歳)
身長
体重
179 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1977年 ドラフト3位
初出場 1979年6月9日
最終出場 1986年6月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

佐野 元国(さの もとくに、1958年3月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手捕手)、プロ野球指導者。父親がギリシャ人で、1982年までの登録名佐野クリスト

来歴・人物[編集]

アメリカンスクールから地元の小学校へ編入後、横浜高校から1977年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団。チームが初のリーグ優勝を果たした1979年に初めて一軍に昇格した。二軍では守備以外にも、1980年ウエスタン・リーグにおいて本塁打王と打点王の二冠を獲得するなど地力はあったが、梨田昌孝有田修三といった捕手陣が全盛期だったため出場機会に恵まれず二軍暮らしが続いた。

1985年島貫省一との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。当初は山倉和博に続く2番手の捕手として期待されていたが、4月5日水戸で行われた大洋とのオープン戦の5回に本塁上で走者の若菜嘉晴に左脚大腿部をスパイクされ7針の皮下裂創を負い退場し、その12日後の阪神戦で槙原寛己とバッテリーを組んだ際、ランディ・バース掛布雅之岡田彰布のクリーンナップからバックスクリーンへの3連続本塁打を浴びた。この年、生涯唯一となる公式戦本塁打を、広島東洋カープ白武佳久より記録している。

1986年には近鉄時代に超えることができなかった有田修三が巨人に移籍してきたため、出場機会は更に減少。1988年は1A・マイアミ・マーリンズに野球留学した。主に二軍において若手投手の育成に専念しつつ、1989年を最後に現役を引退。

引退後は、1990年に横浜大洋ホエールズの監督に就任した須藤豊の誘いで大洋の二軍バッテリーコーチに就任し、1991年から1992年には一軍バッテリーコーチを務めた。1993年には古巣・巨人に復帰し1994年まで二軍育成コーチ、1995年から1996年1998年は二軍バッテリーコーチ、1999年から2000年まで一軍バッテリーコーチを務めた。

巨人コーチ退任後はラジオ日本での番組出演があったが、講演を中心に活動しており、現在は横浜市で少年野球の指導に力を入れている。プロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスにも在籍した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1979 近鉄 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1981 6 7 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 4 0 .000 .143 .000 .143
1984 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .500 .500
1985 巨人 6 16 13 1 3 0 0 1 6 3 0 0 1 0 2 0 0 7 0 .231 .333 .462 .795
1986 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 27 26 22 1 3 0 0 1 6 3 0 0 1 0 2 0 1 13 0 .136 .240 .273 .513

記録[編集]

背番号[編集]

  • 39 (1978年 - 1984年)
  • 37 (1985年 - 1988年)
  • 67 (1989年)
  • 82 (1990年 - 1992年)
  • 80 (1993年 - 1994年、1997年 - 1998年)
  • 91 (1995年)
  • 89 (1996年)
  • 70 (1999年 - 2000年)

登録名[編集]

  • 佐野 クリスト (さの くりすと、1978年 - 1982年)
  • 佐野 元国 (さの もとくに、1983年 - 2000年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]