佐藤衡

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佐藤 衡(猊巌)
佐藤猊嚴1.JPG
大正2年(1913年)撮影
生誕 文久2年3月14日1862年4月12日
死没 昭和16年(1941年7月10日
墓地 安養寺(岩手県一関市
国籍 日本の旗 日本
職業 政治家、教育者、漢学者
配偶者 佐藤じん

佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家・教育者・漢学者。岩手県東磐井郡長坂村長。号は猊巌(猊嵒とも表記)。猊鼻渓の観光開発と景観保存に尽力した。

略歴[編集]

人物等[編集]

著作[編集]

  • 『東北絶勝猊鼻渓勝誌』(1914年)
  • 『猊鼻渓遊覧案内』(1919年)
  • 『青山白水楼華甲唱和集』(1922年)
  • 『名勝猊鼻渓案内記』(1924年)
  • 『渓光集』(1929年)

漢詩人としての佐藤猊巌[編集]

幼い頃より父から漢学の手ほどきを受けており、漢詩を得意としていた。漢詩人としては森槐南が主宰する随鴎吟社に所属し、機関誌『随鴎集』に多くの作品を投稿した。猊鼻渓の宣伝活動に際しては自身で景色を詠み込んだ詩を賦してアピールに努めたほか、私費を投じて各地の詩友を招いた。

家族[編集]

父:佐藤謙治(洞潭) 弟:佐藤敬吉(東華)

関連書籍[編集]

  • 佐藤敬吉『磐井の名所』(1916年)
  • 鈴木軍一『猊鼻渓と佐藤猊巌』(私家版か、1991年)
  • 岡田寛『猊鼻に追分流れけり -舟下りの名物船頭を訪ねて-』(河北新報社、1995年)
  • 『猊巌没後五十年祭小冊子』(東山町教育委員会、1991年11月17日)

脚注[編集]

  1. ^ 河西英通『続・東北 異境と原境のあいだ』(中央公論新社、2007年)169~171頁

参考文献[編集]

  • 『東山町史』(岩手県東磐井郡東山町、1978年)

外部リンク[編集]