佐藤康太

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さとう こうた
佐藤 康太
プロフィール
本名 佐藤 康太
愛称 のんシュガー康太
出身地 日本の旗 日本 大分県別府市
生年月日 (1975-04-16) 1975年4月16日(49歳)
血液型 A型
最終学歴 熊本学園大学商学部
勤務局 大分放送
活動期間 1999年 -
出演番組・活動
出演経歴 旬感!3ch
おはようナイスキャッチ

佐藤 康太(さとう こうた、1975年4月16日 - )は、OBS大分放送の社員で元同局アナウンサー大分県別府市出身。

人物・略歴[編集]

熊本学園大学商学部卒業。

高校まで野球部に所属。高校時代に別府羽室台高大塚明(現・千葉ロッテマリーンズコーチ)や国東高校吉武真太郎福岡ソフトバンクホークス巨人・現スカウト)と対戦したこともある。

特技はイラストで、番組などで自分の絵を何度か披露している。自らディレクションした企画には、しばしば本人作成の小物やイラストが登場している。

OBS入社後[編集]

  • 1999年、大分放送入社。
  • 2003年4月、初めてテレビ番組「おはようナイスキャッチ」の司会を担当。
  • 2004年からは、アナウンサーとテレビディレクターを兼任。
  • 2005年、正月の特番「ゆったり王国2005」の企画『3社参りマラソン』で、大分市の神社(護国春日・長浜)を走り、全13kmを生放送中に走破した。番組終了5秒前、感動的にスタジオに入るが、この日のゲストだったプロレスラーのジ・アッチーにラリアットされたところでCMへ。後提供のあとエンドタイトル時に「来年も走ります。」とコメント。
    • これに関連づけて、自身が司会を務める番組「おはようナイスキャッチ」で「康太、大分を走る」というコーナーも作られた。佐藤は県内の色んな場面で走っていた。その一つとして、豊後高田市・椿光寺の火渡りで、あまりの熱さにバックしたことは有名となった。
  • 2006年7月、「おはようナイスキャッチ」で、血液を調べたところ、ドロドロ血液と判明(この時、間食にラーメンを食べていることも判明)。1ヶ月後、食事制限と運動で少しだけ改善される。その後、「康太、健康生活への道」というコーナーを作られ、睡眠時無呼吸症候群の検査を行ったものの期待を裏切らず、中度の無呼吸であることが判明した。
    • 体を張った企画が多い。お正月特番では、マラソンをはじめ相撲(アマチュア横綱など全5番勝負)や柔道(大分県出身の穴井隆将・さやか兄弟と対戦)、後述のバック転などにも挑戦した。
  • 2009年9月から番組企画「3ヶ月で10kgシェイプアップ」に挑み、3ヶ月後に生放送で体重計に乗り見事目標を達成した(実際は12.1kg減)。ただし企画の延長として、34歳にして人生初めてのバック転に挑む企画がスタート。日本文理大学チアリーディング部BRAVESに教えてもらうが、その発表の場がBRAVESの公演の1コーナーとして観客の前で披露することになる。2010年3月27日-28日の2日間、大分県立芸術会館の大舞台で2日間とも成功。
  • 2012年4月から大分県初のゴールデンタイム番組「旬感!3ch」の芸能担当リポーターとして出演。出演時の名前は、ラジオ番組「マンデーテレフォンリクエスト」において使用していた「のんシュガー康太」。黒縁メガネを着用している。また、HKT48指原莉乃のファンで、番組でも「さしこ推し」とプリントされたポロシャツを着て出演。番組内で指原莉乃に何度もインタビューしている。また2012年のAKB選抜総選挙で指原莉乃が4位に入った様子を番組で取材。
  • 2013年3月で10年間出演していた「おはようナイスキャッチ」を卒業。同年4月から同番組のプロデューサーとなる。
  • テレビ番組宣伝で本人がプロデューサーとして出演していた。
  • 2016年4月から2019年3月までの3年間、報道部に異動し記者として幾度かテレビに出演。
  • 2019年4月から「旬感!3ch」のディレクターを担当。
  • 2020年4月から「かぼすタイム」のチーフディレクターを担当。

担当番組[編集]

  • 2015年2月、担当番組なし

過去に担当した番組[編集]

テレビ
ラジオ

外部リンク[編集]