佐藤市十郎

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佐藤 市十郎(さとう いちじゅうろう、旧姓・海井1878年明治11年)1月[1] - 没年不明)は、日本実業家。海市商会社長[1][2]。族籍は山口県士族[1][2]

経歴[編集]

山口県人・海井荒助の二男[1][2]。先代ヒデの養子となり、1894年家督を相続する[1]大阪高等商業学校を卒業[1][2]朝鮮の貿易商に就職の口があって渡鮮する[3]。店務を帯びてたびたび大阪へ出張する所から、悪友に誘い誘われ酒色に耽溺し、滞鮮4年間は放蕩堕落の淵に沈淪し、主家へも迷惑をかけるに至る[3]

久原家に入り、欧州大戦中久原鉱業会社支店長としてロンドンに在勤し、帰朝後久原商事会社常務取締役に転じ、1921年にこれを辞する[1][2]

人物[編集]

クリスチャンである[3]。麻布クリスチャン教会の中心人物として東京基督教青年会理事としてキリスト教の為に熱心に活動する[3]。佐藤は久原に入社するに先だち「自分はクリスチャンであり、日曜に教会に行く」ということを条件とし、社長久原房之助の承認を経た[3]。住所は東京麻布広尾町[1][2]

家族・親族[編集]

佐藤家

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第9版』サ28 - 29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第7版』さ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『我国の実業家と基督教』164 - 179頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • 泉田精一『我国の実業家と基督教』丁未出版社、1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。