佐藤勇二

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佐藤 勇二(さとう ゆうじ、1903年-1977年12月4日)は日本の実業家。三菱自動車工業初代社長。

さとう ゆうじ
佐藤 勇二
生誕 1903年
日本の旗 日本広島県福山市
死没 1977年12月4日(74歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 山口高等商業学校卒業
東京商科大学卒業
職業 実業家
著名な実績 クライスラーと提携、アメリカ進出
コルトギャランの発売
活動拠点 三菱重工業
肩書き三菱重工業副社長
三菱自動車工業初代社長
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人物[編集]

広島県福山市出身。山口高等商業学校を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。

三菱重工業副社長を経て、1970年三菱自動車工業初代社長に就任。クライスラーとの提携を実現[1]。合弁事業を行い、アメリカへの進出を進め、1971年には北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランの発売を開始[2]

1977年12月4日世田谷区の橋本病院で肝硬変のため死去。享年74[3]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞、1970年11月25日
  2. ^ 朝日新聞、1970年7月26日
  3. ^ 朝日新聞、1977年12月5日
先代
(初代)
三菱自動車工業社長
初代:1970年 - 1973年
次代
久保富夫