佐藤のぶ

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佐藤 のぶ(さとう のぶ、天保2年(1831年) - 明治10年(1877年1月17日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての女性。日野宿名主佐藤彦五郎の妻で、新選組副長土方歳三の実姉。佐藤家に嫁いで以降はとく、明治期にはのぶと名乗った。幼名はらん

生涯[編集]

天保2年(1831年)、武州多摩郡石田村に、豪農土方隼人(義諄)の次女(夭折した女児を含むと四女)として生まれる。

天保15年(1844年)、日野宿名主・佐藤彦五郎へ嫁いだ。長女(嘉永元年(1848年)8月9日夭折)、次女・なお(嘉永元年(1848年))、長男・源之助(嘉永3年(1850年))、次男・力之助(安政2年(1855年))、三男・連一郎(安政6年(1859年)4月13日)、四男・彦吉(万延2年(1861年))、三女・とも(文久4年(1864年))をそれぞれ産んだ。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発し、弟・歳三が所属する甲陽鎮撫隊に夫・彦五郎が組織する農兵隊(春日隊)も加わるが、甲州勝沼の戦いにおいて敗北。佐藤家は離散して新政府軍の捜索を逃れ、息子・源之助が捕まるも釈放され、佐藤家は赦免となる。

明治10年(1877年)1月17日、死去。享年かぞえ47。

備考[編集]

  • 竹を割ったような性格だったという。
  • 歳三との仲は非常に良かったといわれる。戊辰戦争時に日野宿へ甲陽鎮撫隊が立ち寄った際、歳三はのぶに土産の母衣を渡していったといわれる。
  • 新選組結成後に、歳三が隊士募集のために郷里を訪れて、子の源之助に入隊を勧めたことがあったが、のぶの強い反対にあって諦めたといわれる。
  • 市村鉄之助が持ち帰った歳三の絶筆は、のぶが死ぬまで大事に持っていたという。

関連項目[編集]