佐竹義堅 (久保田新田藩主)

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佐竹 義堅(さたけ よしかた、元禄5年(1692年) - 寛保2年2月4日1742年3月10日))は、出羽久保田新田藩の2代藩主、のち出羽久保田藩第5代藩主・佐竹義峯の養嗣子。久保田新田藩初代藩主・佐竹義都の長男。生母は石川氏。幼名は福寿丸。通称は主膳。官位は従五位下豊前守。久保田藩世子時代は四品、修理大夫。

経歴[編集]

元禄5年(1692年)に生まれる。元禄15年(1702年)10月15日、将軍徳川綱吉御目見する。享保5年(1720年)11月27日、父・義都の隠居により、家督を相続する。同年12月18日、従五位下豊前守に叙任される。享保6年(1721年)、駿府加番を命じられる。享保17年(1732年5月9日、本家である出羽久保田藩主・佐竹義峯の養子となり、1万石は久保田藩に還付する。同年5月11日、修理大夫と改称する。同年12月16日、従四位下に昇進する。寛保2年(1742年)2月4日、家督を相続することなく、養父・義峯に先立ち死去する。その後、久保田藩主には息子の義真が就いた。

正室は谷照憑の娘・美代(有馬則維の養女)。長男・義真のほか一女あり。