佐竹昭広
![]() |
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1927年10月19日![]() 東京都 |
死没 |
2008年7月1日(80歳没)![]() |
出身校 | 京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 国文学 |
研究機関 |
学習院大学 京都大学 成城大学 |
称号 | 京都大学名誉教授(1985年) |
主な受賞歴 |
紫綬褒章受章(1994年) 第3回角川源義賞(1981年) |
佐竹 昭広(さたけ あきひろ、1927年10月19日 - 2008年7月1日)は、国文学者・万葉学者、京都大学名誉教授。1994年紫綬褒章受章。
経歴[編集]
1927年、東京都生まれ。1946年5月、満18歳の時、短歌における字余について、『万葉集』の短歌の99%、『古今和歌集』『後撰和歌集』の100%に適応する法則[1]を発見して発表した(「万葉集短歌字余考」『文学』昭和21年5月)。
京都大学へ進み、1952年に同大学文学部を卒業。その後、5年間特別研究生として在籍した後、学習院大学講師となった。後に助教授に昇進。1960年より母校の京都大学文学部 助教授に転じ、1973年より教授。1985年に京都大学を定年退官し、名誉教授の称号を受ける。 京都大学退職後は成城大学教授を務め、1993年から1997年まで国文学研究資料館館長を務めた[2][3]。1996年4月より東洋文庫評議員をも務めた[4]。
業績・研究内容[編集]
- 『万葉集』を中心とした上代文学や文法の研究で知られる。例えば語法では、「上代人の自己中心係数」の法則、すなわち「『万葉集』にける「われ」の頻用は、かれらの自己中心性係数の高さを暗示するものであった。ということは、かれらが、すべての対象を自己との関係において主体的に把握するこころの持ち主だった[5]」ことを万葉集の「見ユ」の「用法が特殊である[6]」点などから論証したりしている[7]。また、上代の色彩語など言葉の面から当時の思考や認識に対しても考察している。
- 上代文学だけでなく、中世の説話や滑稽文学の研究でも知られる。
受賞・栄典[編集]
著作[編集]
著書[編集]
- 『下剋上の文学』 筑摩書房 1967
- ちくま学芸文庫 1993
- 『民話の思想』 平凡社選書 1973
- 中公文庫 1990
- 『酒呑童子異聞』 平凡社選書 1977
- 岩波同時代ライブラリー 1992
- 『萬葉集抜書』 岩波書店 1980
- 岩波現代文庫 2000
- 『古語雑談』 岩波新書 1986
- 平凡社ライブラリー 2008
- 『絵入本朝二十不孝』(古典をよむ) 岩波書店 1990
- 『萬葉集再読』 平凡社 2003
- 『閑居と乱世』(平凡社選書) 中世文学点描 2005
- 『佐竹昭広集』 岩波書店 2009-2010
- 萬葉集訓詁[2]
- 言語の深奥
- 民話の基層
- 閑居と乱世
- 古典往来
校注・編著[編集]
参考文献[編集]
- 李 長波[9]「上代語の「見ユ」とその活用の展開:活用形と助動詞との接続を中心に」『同志社大学日本語・日本文化研究』第13号、同志社大学日本語・日本文化教育センター、2015年、71-96頁、doi:10.14988/pa.2017.0000013976。 ※p.88「佐竹昭広(1964)、佐竹昭広(1975)を踏まえて、上代歌謡と万葉集の「見ユ」の用例を分析」
1964:「『見ゆ』の世界」『国語国文』第33巻第9号 pp.1-13 京都大学文学部国語学国文学研究室 編
1975:「万葉・古今・新古今」日本古典文学全集『万葉集』(1) 補論 pp.476-482 小学館
脚注・出典[編集]
- ^ p.27(六):高山倫明「「字余り法則」小考」『語文研究』第126巻、九州大学国語国文学会、2018年12月25日、18-32頁、doi:10.15017/2544115。
- ^ a b 内容・著者略歴・同シリーズ本 岩波書店
- ^ "佐竹昭広". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2023年11月15日閲覧。
- ^ 1996年度(p.53)~2008年度(p.1)“東洋文庫年報”. 東洋文庫リポジトリ. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 佐竹昭広 1975 p.480:(李 長波 2015, p. 72)
- ^ 李 長波 2015, p. 72.
- ^ 佐竹昭広 1964「『見ゆ』の世界」『国語国文』第33巻第9号 pp.1-13
- ^ 受賞者一覧 公益財団法人 角川文化振興財団
- ^ 李 長波 - Researchmap