佐久間盛庸

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佐久間 盛庸(さくま もりつね、享保12年(1727年) - 天明3年5月26日1783年6月25日))は、江戸時代旗本佐久間氏の一族。実は水野善右衛門勝宥勝庸?)の三男。佐久間勝忠の娘を娶り、養子となった。通称は久右衛門。

明和2年(1765年)11月5日、家督(200俵)を相続した。

法名は佛山。墓所は二本榎廣岳院。