佐々木耕郎

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佐々木 耕郎
ささき こうろう
生年月日 1895年8月21日
出生地 岩手県盛岡市
没年月日 (1978-10-01) 1978年10月1日(83歳没)
出身校 高千穂高等商業学校卒業
前職 会社社長
称号 日光市名誉市民
正六位
勲五等双光旭日章[1]

Flag of Nikko, Tochigi.svg (旧)日光市長
当選回数 4回
在任期間 1954年2月11日 - 1969年8月27日

Flag of Nikko, Tochigi.svg 日光町長
当選回数 1回
在任期間 1953年8月28日 - 1954年2月10日
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佐々木 耕郎(ささき こうろう、1895年8月21日[2] - 1978年10月1日[2])は、日本政治家栃木県(旧)日光市長を務めた。

経歴[編集]

岩手県盛岡市に生まれる[2][3]1917年大正6年)、高千穂高等商業学校を卒業[2]。同年、古河電気工業株式会社に就職[2]。その後の人生の大半を日光で過ごす[4]1945年昭和20年)、同社を退職[3]。同年11月に株式会社別倉製作所他2社を立ち上げ社長に就任した[2]。佐々木は終戦時に古河電気工業が多数の従業員を解雇したことの責を負って同社を退職しており自ら会社を起こしたのは古河電気工業を解雇された従業員たちを雇用するためであった[3]

その後、1951年(昭和26年)4月の栃木県議会議員選挙で当選し1953年(昭和28年)7月まで県議会議員を務めた[1][2]。1953年8月、日光町長伊藤敏次郎の死去に伴う町長選挙に立候補し当選[3][5]。日光町は伊藤の在任中から市制施行の構想を持っており佐々木はこれを引き継いだ[6]。なお、伊藤の在任中は合併によらない単独市制が検討されていたものの佐々木の就任後には小来川村との合併による市制施行に町の方針が変更されている[6]

1954年(昭和29年)2月11日、日光町の市制施行により(旧)日光市の初代市長に就任[1]1969年(昭和44年)8月27日まで市長を務めた[1]。市長在任中には文化観光施設税の導入や観光施設の整備など日光市が国際観光都市として発展する基礎をつくりあげた[7]。また、し尿処理場ごみ焼却場の整備など市民の健康、福祉の充実にも力を注いだ[1]

なお、佐々木はボーイスカウト栃木連盟会長や栃木県スケート連盟会長も務めており社会教育の充実にも尽力した[8]。また、市長退任後の1971年(昭和46年)2月11日には日光市名誉市民に推挙されている[2]。1978年(昭和53年)10月1日午前5時15分、老衰のため獨協医科大学病院で死去した[4]。83歳没。正六位を贈られた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第一巻』,602頁
  2. ^ a b c d e f g h 『日光市史 下巻』,962頁
  3. ^ a b c d 『栃木県歴史人物事典』,287頁
  4. ^ a b c 名誉市民佐々木耕郎氏死去 市制後初の市民葬でお別れ (PDF)”. 広報にっこう 昭和53年11月号. 日光市. p. 2 (1978年11月). 2012年10月17日閲覧。
  5. ^ 『日光市史 下巻』,878頁
  6. ^ a b 『日光市史 下巻』,889-890頁
  7. ^ 『日光市史 下巻』,962-963頁
  8. ^ 『日光市史 下巻』,963頁

参考文献[編集]

  • 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会 、1983年11月25日。
  • 『日光市史 下巻』 日光市、1979年12月20日。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年7月27日。
先代:
伊藤敏次郎
日光町長
第18代:1953年 - 1954年
次代:
市制施行に伴い廃止
先代:
-
(旧)日光市長
第1代:1954年 - 1969年
次代:
星野仁十郎