佐々木昌信

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佐々木 昌信
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県館林市
生年月日 (1969-08-09) 1969年8月9日(48歳)
選手情報
ポジション 一塁手外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐々木 昌信(ささき まさのぶ、1969年8月6日 - )は、日本プロ野球審判員

経歴[編集]

群馬県館林市出身。館林市立第一小学校[1]館林市立第一中学校[2]群馬県立館林高等学校[2]大谷大学卒業[2]

小学校時代は剣道をやっていたが、高校に入ってから本格的に野球を始めたという。実家は浄土真宗の寺で佐々木自身は寺の後継者であったため、仏教を学ぶべく大谷大学文学部真宗学科へ入学[2]。父親からは「大学卒業して実家へ帰るまでは好きなことをやって良い」と言われたので、大谷大学でも硬式野球部に入部した。大谷大学時代は一塁手外野手でプレー、京滋大学野球リーグ公式戦に出場し、大学2年の時にはリーグ優勝も経験している[2]

佐々木は大学卒業時には社会人野球のチームに入ろうかと思っているうちに、京滋大学野球連盟の審判を指導していた元プロ野球審判OBから「プロ野球の審判員のテストを受験してみれば」と勧められた。本人は合格すると思わずにテストを受けたところ、合格したことでプロ野球審判となった[2][3]

1992年、セントラル・リーグ審判員。審判員袖番号は38。1995年5月5日の阪神タイガース広島東洋カープ4回戦において三塁塁審としてデビュー。2016年時点で2068試合出場。オールスターゲーム3回(2000年、2003年、2011年。2003年第2戦で球審)、日本シリーズ6回(2004年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年。2004年第3戦、2007年、2011年第4戦、2013年第1戦、2015年第5戦で球審)の出場。若くして1000試合出場を達成。また、2006年に審判員奨励賞を受賞している。

2009年10月11日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ中日ドラゴンズで三塁塁審を務めた佐々木は、3-2と中日が1点リードしている7回裏一死一塁の場面で、ジェイミー・デントナが放ったレフトポール際への大飛球をホームランと判定し、4-3とヤクルトが逆転に成功した。しかし、中日の監督の落合博満がスコアボードで流れたVTRをみて「ファウルだ」と17分間にわたって猛抗議を行った。審判団が協議をしたが、判定はホームランのまま覆ることはなかった。落合は5分以上の抗議をし、選手を引き揚げさせるなどしたため、遅延行為を理由に退場処分を受け、試合もそのままヤクルトが勝った。

球審を務める際、2012年シーズンまではヘルメットと一体化したマスクを使用していたが、翌2013年からは従来タイプに戻った。球審時のストライクコールや立ち振る舞いが独特である。この独特な立ち振る舞いが話題だった頃、東京ドームの試合で球審を務めた際に、コール時に両手でゲッツのような恰好をする事から、当時巨人ベンチに居た清原と元木に真似をされ、右手で(止めなさい)という仕草をしたというやり取りの映像が、当時放送されていたプロ野球珍プレー好プレーで紹介された事がある。

2014年シーズンより、ストライクコール時の立ち振る舞いが大きく変わっている。

また、大仏のような怖い顔が特徴的だが、かなり温厚な人物である。

2013年よりクルーチーフに昇任。

2016年5月17日、福岡ソフトバンクホークス北海道日本ハムファイターズ9回戦(北九州市民球場)にて球審を務め、史上64人目の通算2000試合出場を達成した[4]

上述のように実家は浄土真宗大谷派の寺(佛光山覺應寺)であり、佐々木自身も僧侶の資格を持っている。プロ野球のシーズンオフには館林へ帰省して実家の寺の手伝いをしている[3]

審判出場記録[編集]

(記録は2016年シーズン終了時)

表彰[編集]

  • セントラル・リーグ審判員奨励賞(2006年)
  • 最優秀審判員賞(2015年)

脚注[編集]

  1. ^ 平成29年度 スポーツ少年団の取り組み 館林市立第一小学校
  2. ^ a b c d e f 佐々木昌信さんに聞く 衝撃的だったムービングファーストボール (PDF)”. 館高東京同窓会会報. p. 10-13 (2010年2月). 2017年4月27日閲覧。
  3. ^ a b 【ザ・アンパイア】 実家は寺!袈裟をプロテクターに代えた佐々木 J SPORTS 野球好きコラム 2014年4月16日
  4. ^ 佐々木昌信審判員 2000試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構オフィシャルサイト)、2016年5月17日

外部リンク[編集]