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佐々木吉郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 吉郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県秋田市
生年月日 1940年3月15日
没年月日 (2008-12-21) 2008年12月21日(68歳没)
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1962年
初出場 1962年9月16日
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

佐々木 吉郎(ささき きちろう、1940年3月15日[1] - 2008年12月21日)は、秋田県出身のプロ野球選手投手)、野球指導者。

史上8人目の完全試合達成者。

来歴・人物

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秋田市立秋田商業高等学校では当初捕手だったが、試合中に突然登板を命じられ以来投手になる。1957年夏の甲子園県予選で優勝[2]。奥羽大会に進出するが、1回戦で八戸高に惜敗し甲子園には出場できなかった[2]

卒業後は日本石油に進む。1961年都市対抗では杉本和喜代日本鋼管から補強)と投の二本柱を組み優勝に貢献[3]。翌1962年1月の第4回アジア野球選手権大会日本代表(前年の都市対抗優勝チーム)として、日本の優勝に貢献。同年の都市対抗では43イニング無失点(大会記録)、全5試合完封勝利を果たし連続優勝、橋戸賞を受賞する[3]

1962年大洋ホエールズに入団[2]。同年は9月から先発としても起用されたが4連敗に終わる。1964年には5勝を挙げ、7月5日阪神との対戦では村山実に投げ勝ち初の完封勝利を飾る。1965年は不調で勝星がなかったが、翌1966年には復活。先発陣の一角として自己最多の8勝を記録し、後述のように完全試合も成し遂げた。その後は主に中継ぎとして起用されるが、1969年には登板機会が減り、同年限りで引退[2]

社会人野球の実力者として期待されたが、無理な練習のため肘に持病があり、プロでは前評判のような活躍はできなかった。主に中継ぎローテーションの谷間での先発で起用され、比較的防御率が良く当時の三原脩監督に重用された。

1964年9月23日巨人戦で、王貞治から1シーズン本塁打日本記録(当時)の第55号を打たれている。

1966年5月1日には、シーズン開幕以来の初先発である広島戦で、1960年島田源太郎に次ぐ球団史上2人目の完全試合を達成している。実は本当の先発予定は左腕の小野正一であり、佐々木は広島の右打者を交代させるための「偵察オーダー」で当時の別所毅彦投手コーチから「ヒットを1本でも打たれたら交代するぞ」と言われ、登板。しかし、いざ投げてみると安打を全然打たれず最後まで1本の安打も打たれることなく完投し完全試合を達成した。ちなみにこの試合で登板予定だった小野は試合開始からブルペンで投球練習をずっと続けていた[4][5][注 1]

引退後は、1986年まで社会人野球TDKのコーチ・監督を歴任[2]。野球界から引退した後は東京都中央区で割烹料理の店を営んでいたという[2]

2008年12月21日午前8時45分、敗血症のため東京都港区の病院で死去[7][8]68歳没

秋田県大仙市にある「かみおか嶽雄館」の「野球ミュージアム」では[9]完全試合達成時の写真が展示されている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1962 大洋 7310104----.00011831.22345001800882.250.88
1963 261010026----.25032275.18082513202037313.671.39
1964 391421057----.417490123.2108102724601044352.541.09
1965 21400002----.00017744.22902010280015142.801.10
1966 381643388----.500564139.0134102325581154473.041.13
1967 33600046----.40032476.18041955291232273.201.30
1968 32100041----.80026864.16461613381021172.391.24
1969 6000000--------368.292200800655.001.27
通算:8年 202548442334----.4042299563.2527441371220259632171842.941.18
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 27 (1962年 - 1964年)
  • 18 (1965年 - 1969年)

脚注

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注釈

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  1. この完全試合についてはメディアごとに少し食い違いがあり1回終了時点で交代する予定だったが安打を全く打たれず、ピンチになれば代えていたとの記述もある[6]

出典

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  1. http://npb.jp/bis/players/71973825.html
  2. 1 2 3 4 5 6 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、250ページ
  3. 1 2 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. プロ野球史上16人の完全試合達成投手に「佐々木姓」3人、名前に「朗&郎」が付く選手は7人に驚きの声
  5. 犬企画マンホール (2020年6月21日). 「ヒット1本で交代」という“偵察登板”の予定だったが……まさかの完全試合/プロ野球20世紀・不屈の物語【1966年】”. 週刊ベースボールONLINE. 2025年5月16日閲覧。
  6. 週刊ベースボール別冊 よみがえる1958年-69年のプロ野球 [Part.9] 1966年編 悪太郎、堀内恒夫登場! ベースボール・マガジン社.2024年.P28
  7. 佐々木吉郎氏死去/プロ野球元大洋の投手”. 四国新聞社 (2008年12月21日). 2019年12月16日閲覧。
  8. 元大洋の佐々木吉郎氏が死去 スポーツニッポン 2008年12月21日閲覧
  9. かみおか嶽雄館 ~野球資料展示~ 秋田こまち路~田沢湖・角館・大仙・美郷観光ブログ~(秋田県仙北地域振興局地域企画課公式ブログ)

関連項目

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外部リンク

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