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佐々木一十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々木 一十郎
ささき いそお
生年月日 (1950-01-10) 1950年1月10日
出生地 日本の旗 日本 宮城県仙台市
没年月日 (2026-03-15) 2026年3月15日(76歳没)
死没地 日本の旗 日本 宮城県名取市
出身校 東北工業大学建築科中退
前職 幼稚園園長
所属政党 無所属
称号 正五位
旭日小綬章
当選回数 3回
在任期間 2004年7月25日 - 2016年7月24日
宮城県名取市議会議員
当選回数 2回
在任期間 1992年2月1日 - 2000年1月
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佐々木 一十郎(ささき いそお、1950年昭和25年)1月10日[1] - 2026年令和8年)3月15日)は、日本の政治家宮城県名取市長(3期)。名取市議会議員(2期)を歴任した。

来歴

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宮城県仙台市出身。1972年昭和47年)12月、東北工業大学建築科中退。1976年(昭和51年)10月1日、有限会社佐々木酒造店に入社。1992年平成4年)2月1日から2000年(平成12年)1月まで名取市議会議員を2期務めた。1998年(平成10年)3月、有限会社佐々木酒造店の代表取締役に就任[2][3]

2000年(平成12年)の名取市長選挙に出馬するも落選。同年12月1日、閖上(ゆりあげ)わかば幼稚園の園長に就任[2]

2004年(平成16年)の同市長選挙に再挑戦し初当選。2008年(平成20年)6月の選挙で2期目の当選。

2011年(平成23年)10月11日、名取市議会は佐々木に対する辞職勧告決議を可決した。同年5月に採用した情報システム専門官に対し、採用試験の論文テーマを公募前に伝えたことが発端であった。しかし佐々木は「復興途上で辞めるわけにはいかない」と述べ、決議に従わなかった[4]

2012年(平成24年)7月の選挙で3期目の当選(投票率は40.00%)。

広報の市長コラム「粋庵」2014年(平成26年)12月1日号で、真珠湾攻撃陰謀説を開陳していたが、この内容は青山繁晴のファンブログからの孫引きだったことが発覚。当初、「ネットでは当たり前に閲覧できますが、日本のマスコミには載りません」と締めていたが、謝罪・削除に追い込まれた[5]

2016年(平成28年)7月の選挙で4選を目指すも、山田司郎に敗れる。

2020年令和2年)春、旭日小綬章受章[6]

その後は認定こども園の理事長を務めた。2026年(令和8年)3月15日下咽頭がんのため名取市内の病院で死去した[7][8]76歳没。死没日付で正五位に叙された[9]

脚注

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  1. 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、40頁。
  2. 1 2 佐々木一十郎名取市長が語る 「子どもたちに、きちんと引き継いでいける自立したまちを」 末期の上咽頭がんに打ち勝って地方行政に手腕を振るうがんサポート
  3. JapanProducerインタビュー 名取市長 佐々木 一十郎NPO法人ドットジェイピー
  4. "名取市議会、市長に辞職勧告 佐々木市長は続投表明 職員採用問題 /宮城県". 朝日新聞. (2011年10月12日)。
  5. 市長コラム 粋庵当該号
  6. 令和2年春の叙勲受章者名簿
  7. 東日本大震災発生時に名取市長を務めた佐々木一十郎さんが死去、76歳 閖上地区の復興を指揮〈宮城〉”. 仙台放送/ニュースセンター (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
  8. 名取 閖上の復興などに尽力 前市長の佐々木一十郎さん死去”. NHKニュース (2026年3月18日). 2026年3月18日閲覧。
  9. 『官報』第1691号8頁 令和8年4月21日

外部リンク

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