伊部直光
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伊部 直光 いべ なおみつ | |
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陸地測量部長時代 | |
生誕 |
1867年4月2日 武蔵国 |
死没 | 1932年7月5日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1887 - 1916 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 |
舞鶴要塞司令官 陸地測量部長 |
戦闘 | 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦 |
伊部 直光(いべ なおみつ、1867年4月2日(慶応3年2月28日[1]) - 1932年(昭和7年)7月5日[2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将[2]。
経歴
[編集]武蔵国(現東京都)出身[2]。陸軍士官学校(旧9期)[3] を卒業後、1887年(明治20年)7月21日工兵少尉に任官[4] し、1888年(明治21年)7月28日工兵第一大隊付となる[5]。1891年(明治24年)7月27日工兵中尉に[6]、1895年(明治28年)4月25日工兵大尉に[7] 昇進。
その後、陸軍士官学校教官、陸軍砲工学校教官兼職を経て、1900年(明治33年)1月26日工兵少佐に昇進と同時に陸軍砲工学校教官専任となる[8]。1901年(明治34年)12月4日には工兵第二大隊長に補され[9]、1904年(明治37年)3月10日、工兵中佐に昇進[10] の後、工兵第九大隊長などを経て、1908年(明治41年)1月25日、工兵大佐に昇進し、陸地測量部製図科長に就任した[11]。
1913年(大正2年)8月22日、陸軍少将に進級し舞鶴要塞司令官に着任[12]。その後、1914年(大正3年)6月2日、陸地測量部長に就任[13]。
1916年(大正5年)1月21日待命となり、同年5月2日予備役に編入された[14]。
栄典
[編集]- 1890年(明治23年)10月15日 - 正八位[15]
- 1892年(明治25年)1月27日 - 従七位[16]
- 1895年(明治28年)
- 1900年(明治33年)3月10日 - 従六位[20]
- 1901年(明治34年)11月30日 - 勲五等瑞宝章[21]
- 1904年(明治37年)4月29日 - 正六位[22]
- 1901年(明治38年)5月30日 - 勲四等瑞宝章[23]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・勲三等旭日中綬章、明治三十七八年従軍記章[24]
- 1908年(明治41年)4月10日 - 従五位[25]
- 1913年(大正2年)5月20日 - 正五位[26]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 勲二等瑞宝章、大正三四年従軍記章[27]
- 1916年(大正5年)5月30日 - 従四位[28]
- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年、い20頁。
- ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』99頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』78、81頁。
- ^ 『官報』第1222号、明治20年7月26日。
- ^ 『官報』第1526号、明治21年7月31日。
- ^ 『官報』第2424号、明治24年7月29日。
- ^ 『官報』第3546号、明治28年4月29日。
- ^ 『官報』第4969号、明治33年1月27日。
- ^ 『官報』第5529号、明治34年12月6日。
- ^ 『官報』第6205号、明治37年3月11日。
- ^ 『官報』第7373号、明治41年1月27日。
- ^ 『官報』第321号、 大正2年8月23日。
- ^ 『官報』第551号、 大正3年6月3日。
- ^ 『官報』第1124号、 大正5年5月3日。
- ^ 『官報』第2193号、明治23年10月20日。
- ^ 『官報』第2571号、明治25年1月28日。
- ^ 『官報』第3671号、明治28年9月21日。
- ^ 『官報』4029号附録、明治29年12月2日。
- ^ 『官報』号外、明治28年12月25日。
- ^ 『官報』第5005号、明治33年3月12日。
- ^ 『官報』第5651号、明治35年5月9日。
- ^ 『官報』第6247号、明治37年4月30日。
- ^ 『官報』第6573号、明治38年5月31日。
- ^ 『官報』第7036号、明治39年12月11日。
- ^ 『官報』第7434号、明治41年4月11日。
- ^ 『官報』第241号、大正2年5月21日。
- ^ 『官報』第1190号、大正5年7月19日。
- ^ 『官報』第1148号、大正5年5月31日。
- ^ 『官報』第7952号、明治42年12月24日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
軍職 | ||
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先代 佐藤忠義 |
舞鶴要塞司令官 第8代:1913年8月22日 - 1914年6月2日 |
次代 木村平太郎 |
先代 牧野淸人 |
陸地測量部長 第6代:1914年6月2日 - 1916年1月21日 |
次代 矢野目孫一 |