伊達竹松丸

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伊達 竹松丸
時代 江戸時代
生誕 慶長14年(1609年
死没 慶長20年(1615年)3月18日
諡号 江巌恵春
墓所 金剛山宝山輪王禅寺
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 伊達政宗愛姫
兄弟 秀宗五郎八姫忠宗宗清津多亘理宗根宗泰宗綱宗信宗高牟宇姫竹松丸宗実岑姫宗勝千菊姫
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伊達 竹松丸(だて たけまつまる)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩初代藩主伊達政宗の八男。

生涯[編集]

慶長14年(1609年)、伊達政宗の八男・第10子として伊達家江戸屋敷にて誕生した。母は正室の愛姫。幼名を竹松丸と名付けられた。愛姫はこの時42歳。五郎八姫忠宗宗綱に続いて4人目の子であった。愛姫の婚姻時、2人目か3人目の男子を愛姫の生家田村家の養嗣子にする、という約束があり、竹松丸は大事に育てられていたが、慶長20年(1615年)になって病を発症、同年3月18日に伊達江戸屋敷において死去した。享年7。

政宗はこの時期、大坂冬の陣を終え、京都から江戸に戻る途中で、17日には駿府城徳川家康に会い、江戸屋敷には21日に到着した。悲しみに浸る時間もなく、再び大坂に向けての出陣の命が下り、仙台から兵を呼び戻さねばならない状況であった。政宗は竹松丸の遺体の棺を仙台に送り、金剛山宝山輪王禅寺、住持10世燐庵和尚導師のもと葬儀が執り行われ、葬られた。法名は江巌恵春と号される。殉死2人。

その後、輪王寺10世燐庵光金和尚は竹松丸の菩提を弔うため、寺を仙台北八番町に開山、微笑山江巌寺と名付けた。

参考文献[編集]