伊達光宗

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伊達 光宗
Date Mitsumune.jpg
伊達光宗像(瑞巌寺蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 寛永4年4月8日1627年5月22日
死没 正保2年9月8日1645年10月27日
別名 萬助・亀千代・万千代
戒名 円通院殿要山透関大居士
墓所 円通院三慧殿(宮城県宮城郡松島町
官位 従四位下侍従越前守
仙台藩世子
氏族 伊達氏
父母 父:伊達忠宗
母:徳川秀忠の養女・振姫(実父は池田輝政
兄弟 虎千代丸、光宗宗良五郎吉宗倫綱宗宗規宗房宗章、鍋姫(立花忠茂継室)

伊達 光宗(だて みつむね)は、陸奥仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の次男で世子。母は徳川秀忠の養女・振姫(実父は池田輝政、母は徳川家康の次女・督姫)。幼名は萬助・亀千代・万千代。

生涯[編集]

寛永7年(1630年)、兄の虎千代丸が7歳で夭折したため世子となる。寛永16年(1639年)に元服し、従五位下、越前守に任官するとともに第3代将軍徳川家光より偏諱を賜って光宗を名乗る。寛永20年(1643年)には官位を従四位下、侍従に進められた。正保元年(1644年)10月に初入部し、翌正保2年(1645年)2月には途中日光に参詣して参府した。家光とは従兄弟の関係であったため将来の第3代藩主として期待されたが、9月に江戸で19歳で早世した。参府までの旅程で体調を崩したためと考えられる。法名は円通院殿要山透関大居士。翌年の正保3年(1646年)に霊廟・三慧殿が建設され、正保4年(1647年)には光宗の菩提寺として円通院が建立された。光宗の早世により、異母弟で振姫の養子になっていた六男綱宗が家督を継ぐことになった。

参考文献[編集]

  • 「市史せんだい」Vol.6 仙台市 1996年
  • 「仙台市史」通史編3 近世1 仙台市 2001年
  • 「仙台藩歴史事典 改訂版」仙台郷土研究会編 2012年