伊藤雅俊 (1924年生の実業家)
いとう まさとし 伊藤 雅俊 | |
|---|---|
| 生誕 |
1924年4月30日 |
| 死没 |
2023年3月10日(98歳没) |
| 死因 | 老衰 |
| 出身校 | 横浜市立商業専門学校 |
| 職業 | 実業家 |
| 配偶者 | 伊藤伸子 |
| 子供 |
伊藤裕久(長男) 山本尚子(長女) 伊藤順朗(次男) |
| 親 | 伊藤ゆき |
| 栄誉 | 紫綬褒章(1985年)[1] |
伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年〈大正13年〉4月30日 - 2023年〈令和5年〉3月10日)は、日本の実業家。イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパン[2][3]の設立者である。その手法は「資本主義の精神」そのものと言われた[4]。
人物・経歴
[編集]東京生まれ。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)を経て横浜市立商業専門学校(現・横浜市立大学)を卒業[5]。1944年三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。数ヶ月後には召集され、香川県豊浜に臨時で設営された陸軍特別甲種幹部学校に入学するも、すぐに終戦となった[6]。
三菱鉱業へ復職し、秋田県の尾去沢鉱山へ勤める[7]。だが、3ヶ月ほどで退社し、1946年に北千住で母・ゆきと異父兄・讓が開いた洋品店「羊華堂」に合流する[8]。1948年合資会社「羊華堂」が設立され、新入社員として斎藤保親と森田兵三が相次いで入社した[9]。のちに斎藤は長く雅俊の秘書を務めたあと常勤監査役をやり、森田は副社長として営業を統括した[10]。羊華堂は1948年には年間売上が3000万円となり、本店のほか2号店から4号店までの支店を経営するまでになった[11]。
1956年、羊華堂は売場面積を40坪に拡げ、年商も1億円を突破した[12]。ところが、讓が持病の喘息で急逝したため、雅俊がそのあとを継いで社長に就任した[13]。社長に就任すると、1958年に羊華堂を株式会社に変え、社名も「ヨーカ堂」に改めた[14]。この年には新卒の定期採用を実施し、40名の社員が入社した。また鳩がクローバーをくわえた姿を形どったロゴマークもつくられている[15]。
1961年、日本NCRのアメリカ国際セミナーに誘われ、アメリカの流通事情を視察した[16]。そこで日本でも物の値段を小売店が決める時代は近い、チェーンストア時代の到来を予見し、百貨店ではなくスーパーマーケットの多店舗展開への経営路線を定めた[17]。アメリカから帰国後、早速、チェーン展開の資金を借り受けるため、三井銀行の本店に単身乗り込み、三井銀行の重役全員を相手にアメリカで写してきたスライドを見せ、「日本の小売業も将来こうなる」と口説き、当時の年商を上回る10数億円の融資獲得に成功した[18]。1965年、商号を「伊藤ヨーカ堂」、店舗名を「イトー・ヨーカ堂」へそれぞれ変更した[19]。
1972年、イトーヨーカ堂のロゴマークは新デザインのものに改められ、ロゴに使われる名称もカタカナのみの"イトーヨーカドー"へと変更された[20]。この年の10月には東証2部への上場を果たし、次いで、翌年7月には1部へ上場する[20]。ちなみにスーパー業界では長崎屋(1963年)、ダイエー(1971年)に続いての3社目であった[20]。
上場した頃、アメリカを訪れた鈴木敏文がセブンイレブンの店舗を発見。イトーヨーカ堂はその後、セブンイレブンの運営会社サウスランドとエリアサービスおよびライセンス契約を結び、1974年に日本1号店をオープン。1991年3月、イトーヨーカ堂はサウスランドの株式を取得し、経営に参画した[21]。この間、雅俊は1978年に日本チェーンストア協会会長、1981年にはデニーズジャパン会長に就き[2][3]、同年、イトーヨーカ堂は利益で三越を抜き、小売業日本一となる[22]。
1992年に総会屋への利益供与事件で引責辞任し、イトーヨーカ堂社長を鈴木敏文に譲った[23]。2005年のセブン&アイHD設立後も創業者として経営を支えていたが[24]、2016年には自身の後継者であった鈴木を、伊藤邦雄社外取締役(一橋大学教授)らととともに退任に追い込んだ[25][26]。
エピソード
[編集]創業期のイトーヨーカ堂を指導したある経営コンサルタントは、こう語っている[29]。「確か、何か書類を紛失したことがきっかけで、退社時、全社員の机の引き出しやロッカーにカギをかけて帰ることになりました。カギは全部で1200個程ありました。ところがどうしてもかけ忘れがある。毎日、総務部でチェックするんですが、50やそこらは忘れている。これを聞いて伊藤さんがたいへん怒りましてね。カギのかけ忘れは心のカギが閉まっていない証拠だというんです。それから各セクションに責任者を設けたりして、とうとう1年あまりで、かけ忘れゼロにしてしまいました」[30]。
伊藤はダイエーの中内功と同様、新店オープンのときは必ず、店内を巡察巡回するのが日課となっていた[31]。だが、売り場売り場で癇癪玉をけたたましく爆発させる中内と違って、伊藤は無言で店内を巡回し、ふいに止まって売り場に近づき、棚をひと拭き、無言のまま埃のついた指を店員にそっと突き出すのだという[31]。元幹部社員の話では、伊藤は、社員を目の前にして叱責することはめったにないそうである[31]。当の社員がその失敗を忘れかけた頃、廊下などですれちがいざま、静かではあるが、頭のてっぺんから氷水をぶっかけられたような痛罵を浴びせられるのだという。「この月給泥棒!」[31]。
交友
[編集]- アークス代表取締役社長の横山清とは家族ぐるみのつきあいがあった[26]。
- 伊藤雅俊元味の素代表取締役社長とは、同姓同名が縁となり会食を開く仲となった[32]。
- イズミ創業者の山西義政とは、商圏が重複しなかったことから互いに情報交換を重ねるなど関係が深かった。このことが、鈴木敏文の退任で創業家の影響が再度強まった後のセブン&アイとイズミの業務提携の基礎となった。
- 中内㓛とは商売ではライバルであったが、互いの子息が慶應義塾大学で同窓で、同ゼミであったという関係もあって面識があり、晩年は中内学園名誉理事も務めていた[33]。
- 経営学者ピーター・ドラッカーと交友があり、ドラッカーから影響を受けていた[21]。
親族
[編集]- 父
- 母・ゆき - 1892年に神田連雀町にあった乾物屋の長女として生まれる[34]。毎日新聞の記者と結婚し、譲をもうけるが、すぐ死別[35]。2度目の結婚で雅俊が生まれるが、離婚して譲のもとで洋品店を手伝うことになった[5]。1982年死去。89歳没[36]。
- 異父兄・譲 - ゆきが最初の結婚で産んだ長男で、父親が病死して数年後、ゆきが再婚すると、ゆきの実弟吉川敏雄に預けられた[37]。吉川は商才に富み、浅草に「羊華堂」を計4店を開くに至った[38]。 譲は吉川の下で修行を積み、1940年にのれん分けしてもらい、浅草に「羊華堂」の名をもらった洋品店を開業した[34]。雅俊とは14歳も年齢が離れていたが、仲の良い兄弟であった[5]。
- 妻・伸子 - イトーヨーカ堂取締役[39]。
- 長男・裕久 - イトーヨーカ堂専務取締役を経て横浜商科大学客員教授。
- 長女・尚子 - 伊藤興業社長[40]。
- 次男・順朗 - セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長、ヨーク・ホールディングス取締役会長。
著書
[編集]- 『商いの心くばり』講談社、1984年3月。ISBN 978-4062006521。
- 『商いの心くばり』講談社〈講談社文庫〉、1987年3月。ISBN 978-4061839410。
- 『商いの道 - 経営の原点を考える』PHP研究所〈PHP文庫〉、2001年1月。ISBN 978-4569575056。
- 『商いの道 - 経営の原点を考える 新装版』PHP研究所、2005年1月。ISBN 978-4569641096。
- 『伊藤雅俊の商いのこころ』日本経済新聞社、2003年12月。ISBN 978-4532311124。
- 『ひらがなで考える商い (上)』日経BP、2005年7月。ISBN 978-4822244507。
- 『ひらがなで考える商い (下)』日経BP、2005年7月。ISBN 978-4822244514。
共著
[編集]- 伊藤雅俊、金児昭『人を不幸にする会社・幸福にする会社』PHP研究所、2007年5月。ISBN 978-4569691350。
- 伊藤雅俊、斎藤善之、網野善彦『「商い」から見た日本史 市場経済の奔流をつかむ』PHP研究所、2010年10月。ISBN 978-4569613215。
- 伊藤雅俊、末村篤『伊藤雅俊 遺す言葉』セブン&アイ出版、2018年3月。ISBN 978-4860087616。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ↑ 藤井 1987, p. 223.
- 1 2 「創立者プロフィール」 Ito Scholarship Foundation
- 1 2 「伊藤雅俊「消費者が見える経営に戻りたい」」日経ビジネス
- ↑ ためらいの天下人、イトーヨーカ堂創業者の「任せる力」
- 1 2 3 森下 1990, p. 54.
- ↑ 森下 1990, p. 57.
- ↑ 森下 1990, p. 58.
- ↑ 森下 1990, p. 58 - 59.
- ↑ 森下 1990, p. 61.
- ↑ 森下 1990, p. 62.
- ↑ 森下 1990, p. 67.
- ↑ 森下 1990, p. 77.
- ↑ 森下 1990, p. 77 - 78.
- ↑ 森下 1990, p. 78.
- ↑ 森下 1990, p. 79.
- ↑ 森下 1990, p. 83.
- ↑ 森下 1990, p. 84.
- ↑ 森下 1990, p. 93.
- ↑ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp206
- 1 2 3 森下 1990, p. 117.
- 1 2 “イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏死去、98歳 セブンイレブンを国際的企業に”. BBC NEWS JAPAN (2023年3月14日). 2026年1月30日閲覧。
- ↑ 藤井 1987, p. 221.
- ↑ “伊藤雅俊氏が死去 イトーヨーカ堂創業者、98歳”. 日本経済新聞 (2023年3月13日). 2026年1月30日閲覧。
- ↑ 「伊藤雅俊(読み)いとう まさとし」講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ↑ 「「91歳vs83歳」内紛で激震セブン&アイの暗雲」毎日新聞2016年4月9日
- 1 2 「迷走セブン&アイ(下)ビルから出てください(迫真) 」NIKKEI MESSE
- ↑ “セブン&アイ・HDの伊藤雅俊名誉会長が死去”. 産経ニュース. 産経デジタル. 2023年3月13日. 2023年3月13日閲覧.
- ↑ “イトーヨーカ堂創業者 伊藤雅俊 名誉会長が3月10日に死去 98歳”. TBS CROSS DIG with Bloomberg. TBSテレビ. 2023年3月13日. 2026年2月20日閲覧.
- ↑ 佐野 2009, p. 479.
- ↑ 佐野 2009, p. 479 - 480.
- 1 2 3 4 佐野 2009, p. 480.
- ↑ “私の履歴書 伊藤雅俊(24)同姓同名の偉人 ヨーカ堂の伊藤さん 母も同名 社長内定の祝電”. 日本経済新聞 (2019年3月25日). 2026年1月30日閲覧。
- ↑ “名誉理事 - 流通科学大学”. www.umds.ac.jp. 2022年5月27日閲覧。
- 1 2 森下 1990, p. 52.
- ↑ 森下 1990, p. 53.
- ↑ 森下 1990, p. 81.
- ↑ 森下 1990, p. 51 - 52.
- ↑ 森下 1990, p. 51.
- ↑ 現代財界家系譜 第5巻 1971, p. 32.
- ↑ “創業家の「長女」「次男」にセブンイレブンMBO失敗の本質が… 「育ちの良さからか、剛腕さに欠ける」”. デイリー新潮 (2025年3月13日). 2026年1月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『現代財界家系譜 第5巻』現代名士家系譜刊行会、1971年。
- 藤井行夫『中内功商法・伊藤雅俊商法全研究 偉大なる2人から学ぶべきこと・学ばなくてもよいこと』こう書房〈Kou business〉、1987年2月。ISBN 978-4769602491。
- 森下紀彦『イトーヨーカドー伊藤雅俊商売の鉄則』ぱる出版、1990年2月。ISBN 978-4893861429。
- 佐野眞一『完本カリスマ 上 中内功とダイエーの「戦後」』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2009年10月。ISBN 978-4480426307。
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