伊藤栄
伊藤栄 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1947年1月23日(77歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 東京→美浦・中村広(1966 - 1974, 1981 - 1993) |
初免許年 | 1966年3月5日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 |
1993年3月31日 1993年3月21日(最終騎乗) |
通算勝利 | 2621戦268勝 |
伊藤 栄(いとう さかえ、1947年1月23日 - )は、北海道出身の元騎手・調教助手。
経歴
[編集]1966年3月に東京・中村広厩舎からデビューし、同5日の東京第10競走5歳以上50万下・チエストヒメ(12頭中9着)で初騎乗[1] [2]を果たす。
4月9日の中山第8競走5歳以上80万下・トパーズミオで初勝利[2]を挙げ、翌10日の中山でも勝利して自身初の2日連続勝利、24日は初の1日2勝を記録[3]。
9月17日の東京第7競走4歳以上オープンではグレートヨルカでミハルカスに4馬身差付けてヒシマサヒデの2着[4]に入り、1年目の同年から2桁勝利で20勝台の26勝[5]をマーク。
初年度から1973年まで8年連続2桁勝利を記録し、2年目の1967年には自己最多の32勝をマーク[5]。
1967年にはアサカオーの主戦騎手を務め[6]、朝日杯3歳ステークスでは先行策から直線入口で先頭に立ったタケシバオーに一気に離されて[7]3着[8]に終わった。
1968年もアサカオーの主戦を引き続き務めるが、明け4歳初戦の京成杯でタケシバオーと同厩で6頭中5番人気のライトワールド[9]に2馬身離されて2着[10]、続く2月のオープンでもライトワールドにアタマ差及ばず2着[11]に敗れ、3月のオープン勝利後は加賀武見に交代[6]。3戦ぶりに騎乗[6]したスプリングステークスではタニノハローモアには3馬身付けたものの、マーチスの末脚に屈して[12]3着に終わった[13]。
アサカオー以外では、ブラックバトーでクイーンカップを制し重賞初勝利[14]を挙げたが、阪神4歳牝馬特別3着で桜花賞で加賀に交代[15]。
1969年からは10勝台に落ち着くが[5]、エドジョウで同年の京成杯3歳ステークスではアローエクスプレスの2着、1970年の東京4歳ステークスでは9頭中9番人気で3着に入った[16]。
1971年にはバンライで弥生賞を15頭中10番人気ながら4着とし、皐月賞では15頭中14番人気ながらヒカルイマイの2着、秋のカブトヤマ記念でも2着に入った[17]。
1972年にはバンライでアメリカジョッキークラブカップはメジロアサマの2着[17]を経て、ダイヤモンドステークスで重賞初勝利[17]に導くと同時に自身も4年ぶりの重賞勝利[18]を挙げ、アルゼンチンジョッキークラブカップでは3着[17]に入った。前年夏から主戦を務めていた「花の47年組」のタケクマヒカルではNHK杯でトーヨーアサヒ・ツキサムホマレ・ストロングエイト・ノボルトウコウを抑えて5着[19]、日本短波賞では13頭中10番人気ながらスガノホマレ・イシノヒカル・タカイホーマに次ぐと同時にハクホオショウ・タケデンバードを抑えて4着[20]に入った。毎日王冠では森安重勝から乗り替わったハスラーでオンワードガイを抑えて勝利し[21]、オールカマーではイナボレスの3着に入った[22]。
1974年には東京新聞杯でタケクマヒカルをイチフジイサミ・ナスノチグサを抑えて2着[23]に導いたのを最後に一度引退[24]。
引退後は実家の牧場を継ぎ、テンポイントが競走中止したことで知られる第25回日本経済新春杯を制したジンクエイトを送り出したが、廃業[25]。
廃業後の1981年に騎手復帰し、3月1日の中山第2競走4歳未勝利・スガノテスコ(14頭中3着)で7年ぶりの騎乗を果たすと、同馬に騎乗した同28日の中山第3競走で7年ぶりの勝利を挙げる[24]。復帰後の重賞初騎乗[26]となった七夕賞ではエスパルでフジマドンナ・ジュウジアロー・ハワイアンイメージを抑えて2着[27]に入り、同年は7勝[5]をマーク。
1982年には青森・タケミファーム生産馬カミノスミレ[28]でドロドロの不良馬場で行われた目黒記念(春)を13頭中12番人気で快勝し[29]、目黒記念(秋)・ステイヤーズステークス3着と牡馬に混じって健闘を続け、中長距離重賞の紅一点として活躍[30]。ベルベットムーンでは桜花賞で22頭中14番人気ながらリーゼングロスの5着[31]に入り、同年は復帰後初の重賞勝利[32]を含む10勝[5]をマーク。
1984年から1986年には3年連続2桁勝利を記録し、1985年のテレビ東京賞3歳牝馬ステークスでは13頭中12番人気のミスカツラでメジロラモーヌ・ダイナフェアリーに次ぐ4着[33]に入った。
1988年にはタイテエム産駒の牝馬ドリームワールドでカブトヤマ記念3着[34]に入り、1991年には5年ぶりで自身最後の2桁となる10勝[5]をマークするが、1992年には自己最低の1勝[5]に終わる。
1993年3月21日の中山第6競走4歳新馬・アストレジャーで最後の勝利[35]を挙げ、同日の第7競走4歳500万下・ミミオブラッキー(13頭中8着)が最後の騎乗[36]となり、同31日付で現役を引退[37]。
引退後は調教助手となった[37]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 268 | 240 | 232 | 1881 | 2621 | .102 | .194 |
- 主な騎乗馬
- ブラックバトー(1968年クイーンカップ)
- バンライ(1972年ダイヤモンドステークス)
- ハスラー(1972年毎日王冠)
- カミノスミレ(1982年目黒記念 (春))
脚注
[編集]- ^ 5歳以上50万円以下|1966年3月5日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ a b 伊藤栄のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤栄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 4歳以上|1966年9月17日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ a b c d e f g 伊藤栄の年度別成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ a b c アサカオー (Asaka O) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 白井透(編)『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)草間好夫「タケシバオー」pp.406-413。
- ^ 3歳ステークス|1967年12月17日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ ライトワールド (Light World) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 京成盃|1968年1月14日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 4歳|1968年2月10日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 戦う場所を選ばない怪物 タケシバオーの気概 | タケシバオー | 優駿 WEB
- ^ スプリングステークス|1968年4月28日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤栄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ ブラックバトー (Black Vatout) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ エドジョウ | 競走馬データ - netkeiba
- ^ a b c d バンライ | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤栄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ NHK杯|1972年6月18日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 日本短波賞|1972年7月30日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 毎日王冠|1972年9月24日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ ハスラー | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 東京新聞杯|1974年2月3日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ a b 伊藤栄の近走成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ 伊藤 栄|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 伊藤栄の近走成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ 七夕賞|1981年7月5日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ カミノスミレ|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 目黒記念|1982年2月21日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ カミノスミレ | 馬・牧場・施設検索 | 競走馬のふるさと案内所
- ^ ベルベットムーン (Velvet Moon) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤栄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ テレビ東京賞3歳牝馬|1985年12月14日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ ドリームワールド (Dream World) | 競走馬データ - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤栄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 伊藤栄の近走成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ a b FURIKAERU