伊藤明彦
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伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 2009年3月3日)は、日本のジャーナリスト。被爆者の声を聴き、伝えることに人生をかけた[1]。
略歴
[編集]- 1936年 東京都生まれ。本籍地、山口県宇部市。8人きょうだいの末っ子。すぐ上の兄とは双子[2]。
- 1944年 銀行員だった父の仕事の関係で長崎市に転居[3][2]。
- 1945年 被爆当日の8月9日は山口県に縁故疎開していた。両親、姉たちは長崎市内で被爆。10日後、母に連れられて長崎市の自宅へ戻った。長崎市にて「入市被爆」、当時8歳[2]。中学・高校は私立海星学園[注釈 1]。
- 1960年 早稲田大学第一文学部(西洋史専攻)を卒業、長崎放送に就職[2]。
- 1968年 「被爆者の声」の取材をはじめ、ラジオ番組「被爆を語る」を企画、提案、同年11月5日に番組開始[4]。
- 1969年 番組開始後半年で佐世保支局に転勤を命じられる[2]。
- 1970年 長崎放送を退職。被爆者の声を録音するため、退職金で録音機を購入した[4]。東京に出て、日本電波ニュース社に勤務する[2]。
- 1972年 9月、日本電波ニュース社を退職。夜警や皿洗いなどをしながら、被爆証言取材活動を自費で続けた[5]。1972年から1980年までの8年間、北から南まで、約2000人の被爆者を訪ね歩いた(平均すると3日に2人を訪問したことになる)。しかし、半数の人には録音を断られた[6][注釈 2]。音声証言収録者数は、1,003名、オープンリールテープ951巻[9]。
- 1980年 『未来からの遺言―ある被爆者体験の伝記』を執筆。みかん箱の上で、えんぴつで書いた。3か月足らずで脱稿、同年4月に刊行[10]。
- 1982~1992年 取材証言をまとめた録音構成『被爆を語る』のオープンリール/カセットテープを各地の資料館や図書館に寄贈[注釈 3]。
- 2001年 第7回 平和・協同ジャーナリスト基金 基金賞 受賞[11]。
- 2001年 シチズン・オブ・ザ・イヤー 受賞[11]。
- 2006年 取材証言をまとめたCD作品『ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない』を各地の資料館や図書館に寄贈[11][注釈 4]。
- 2006年 第49回 日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 特別賞 受賞[11]。
- 2006年11月から2009年1月にかけて、ビデオによる被爆証言取材活動を行う。ビデオ取材人数は、のべ349名[注釈 5]。
- 2006年11月~2007年11月 広島に滞在して取材
- 2007年11月~2008年10月 自宅(東京都・調布市)を拠点に関東近郊を取材
- 2008年10月~2009年1月 長崎に滞在して取材(取材半ばに体調を崩し、一時帰宅)
被爆を語る
[編集]伊藤明彦は、入社8年後の1968年11月からNBC長崎放送のラジオ番組「被爆を語る」をスタートさせた。第1回放送は、11月5日火曜日。偶然にも32歳の誕生日だった[4]。早朝の6分間、週3回の放送だった[4]。これは、被爆地の放送局として「被爆者の声」を収録するとともに、長期的に保存し、その一部を放送するという新しい企画提案であった。ライフワークと思っていたが、番組を担当してわずか半年後に、この番組の担当を社内の事情でおろされ、佐世保支局へ転勤させられた[13][2]。
その後、ラジオ番組「被爆を語る」は番組名を「長崎は証言する」に変更され、現在もなお毎週土曜日、朝6:40からの5分番組として長崎に在住している被爆体験者の声を取材して放送している[14][15][16]。
音声作品
[編集]- 1982~1984年制作・寄贈 オープンリール版「被爆を語る」(51人分52巻 約70時間)
- 全国14施設へ寄贈。
- 1989年制作 カセットテープ版「被爆を語る」(14人分14巻 約18時間30分)
- 1989年~92年夏 全国944施設へ寄贈。
- 2006年制作 CD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」(9枚組 約8時間40分)
- 2006年 全国547施設・団体・個人へ寄贈・贈呈(うち小部数は米国)。
ドラマ
[編集]2025年4月、『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』をもとに、NHK 総合テレビから8月に89分番組、戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」として放送されることが発表された[17]。 2025年5月、NHKより戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」の新たな出演者とともに放送予定日が発表された[18]。 2025年8月13日に放送され、ギャラクシー賞2025年8月度月間賞を受賞した[19][注釈 6]。
著書
[編集]- 『未来からの遺言―ある被爆者体験の伝記』(1980年 青木書店、2012年7月 岩波現代文庫にて復刊)
- 『原子野の『ヨブ記』 かつて核戦争があった』(1993年 径書房)
- 『シナリオ 被爆太郎伝説』(1999年 窓社)
- 伊藤明彦『未来からの遺言 -ある被爆者体験の伝記』 社会246、岩波書店〈岩波現代文庫〉、2012年7月18日。ISBN 978-4-00-603246-3。解説は今野日出晴。
- 伊藤明彦 著、西浩孝 編『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記 / シナリオ 被爆太郎伝説』 伊藤明彦の仕事1、編集室 水平線、長崎県長崎市、2024年12月10日。ISBN 978-4-909291-07-3。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1級上に美輪明宏がいた[2]。
- ↑ 伊藤は以下のように記している。「八年間、執念にもえ、不動の信念のもとにこの作業をつづけてきた、といえばまったくの嘘になりましょう。自分の無謀な選択の当否を疑い、自分のこの作業の意味を疑い、その未来を疑い、迷いながら、動揺しながら、この作業から逃げだす機会をうかがいながら、しかしこの作業を途中で放りだすことにはなにかしら自分の人間らしさを傷つけるものがあると感じながら、原子爆弾が、この行為をつうじて、私の人生にもなにかの意味づけを与えているように感じながら、私は作業をつづけてきました[7]。しかし、どんなに孤独を感じ、動揺しているときでも、私を支持してくれた人々がいます。それはほかでもない、原子爆弾で死んだ人々です[8]。」
- ↑ カセットテープ版 全14巻はWebサイト「被爆者の声」にて聴取可能。
- ↑ 上記CD作品はWebサイト「被爆者の声」にて聴取可能。
- ↑ 上記ビデオ取材映像はWebサイト「被爆者の声」またはYouTubeチャンネル「被爆者の声」にて視聴可能。
- ↑ NHKオンデマンドで視聴可能“八月の声を運ぶ男”. NHK. 2026年2月7日閲覧。
出典
[編集]- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 336.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 337.
- ↑ 『未来からの遺言』の著者略歴より。
- 1 2 3 4 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 342.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 338.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 344.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 221.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 222.
- ↑ 伊藤明彦 2012, p. 230.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 346.
- 1 2 3 4 5 伊藤明彦 2012, p. 231.
- ↑ 伊藤明彦の仕事1 2024, p. 339.
- ↑ 今野日出晴 「解説 被爆者とはだれか」 『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』伊藤昭彦、岩波書店、2012年、229頁。
- ↑ 長崎新聞 (2018年10月31日). “ラジオ「長崎は証言する」 被爆者の思い伝え半世紀”. 長崎新聞社. 2025年5月17日閲覧。
- ↑ 毎日新聞 (2018年11月5日). “NBC:被爆証言ラジオ50年「一人でも多くの声後世に”. 毎日新聞社. 2025年5月17日閲覧。
- ↑ NBC長崎放送 (2025年). “被爆80年 NO MORE…”. 2025年5月17日閲覧。
- ↑ NHK (2025年4月4日). “戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」制作開始のお知らせ”. 2025年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月15日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ NHK (2025年5月22日). “戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」新たな出演者・放送日決定のお知らせ”. 2025年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月15日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ “八月の声を運ぶ男”. NHK. 2026年2月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 川口安子 (2025年4月16日). “ラジオ記者から後世に残す仕事へ 始まりは1968年の秋 【被爆太郎になった男 伊藤明彦と千人の声1・録音】”. 西日本新聞社. 2025年5月15日閲覧。西日本新聞(2025-04-16 08面)
- 川口安子 (2025年4月17日). “死後に遺族救った録音テープ 福岡県嘉麻市・ボタ山のかげの「被爆者体験」 被爆太郎になった男 伊藤明彦と千人の声2・流浪】”. 西日本新聞社. 2025年5月15日閲覧。(2025-04-17 08面)
- 川口安子 (2025年4月22日). “「被爆者とはだれか?」 ある”つくり話”から深まった問い 【被爆太郎になった男 伊藤明彦と千人の声3・思想と文学】”. 西日本新聞社. 2025年5月15日閲覧。(2025-04-22 10面)
- 川口安子 (2025年4月23日). “「絶対に絶望してはならない」止めなかった歩みが事態を打開 【被爆太郎になった男 伊藤明彦と千人の声4・保存と伝達】”. 西日本新聞社. 2025年5月15日閲覧。(2025-04-23 10面)
- 川口安子 (2025年4月24日). “タスケテェーの声がね、この耳の中に…被爆者の「声」を追体験させる伝声管 【被爆太郎になった男 伊藤明彦と千人の声5・継承】”. 西日本新聞社. 2025年5月15日閲覧。(2025-04-24 09面)