伊澤平左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

伊澤 平左衛門(いざわ へいざえもん、1862年12月28日文久2年11月8日[1][注 1] - 1934年昭和9年)6月9日[2])は、日本実業家政治家衆議院議員(2期)。貴族院多額納税者議員

経歴[編集]

仙台に醸造家伊澤平藏(3代目)の長男に生まれる[3]。父の跡を継ぎ、1907年に仙台市会議員、その後、同参事会員などを務めた[2][3]1915年に宮城貯蓄銀行、1919年に塩釜銀行の各頭取に、1920年仙台ガス社長に就任した[2][3]

同年の総選挙では立憲政友会から出馬を要請されたが、一族に反対された[3]。しかし、政友会本部は岡崎邦輔を仙台に派遣し、伊澤を説き伏せ、正式に立候補となった[4]。これにより、憲政会村松亀一郎との争いになり、当選し、激しい選挙戦を制した[5]1923年8月に仙台商業会議所会頭[2][4]、12月には七十七銀行頭取に就任した[4]。翌1924年の総選挙でも政友会から立候補したが、これに対して憲政会は仙台出身の実業家の荒井泰治を擁立、前回以上の激しい選挙戦となり、その結果伊澤が2448票で268票差で当選した[6]1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[7]、同日に衆議院議員を退職した[2][8]

1927年金融恐慌が起こり、宮城貯蓄銀行が経営危機に陥り、合わせて仙台興業銀行の両行を七十七銀行に合併[4]1931年には五城銀行、東北実業銀行の2行と七十七銀行との合併を実現させた[4]。貴族院議員は1932年9月28日まで1期務めた[2]。1934年死去。

親族[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『宮城県百科事典』38頁には「1858年(安政5)」と記載。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、19頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』185頁。
  3. ^ a b c d 『宮城県百科事典』37頁。
  4. ^ a b c d e 『宮城県百科事典』38頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』64頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』71頁。
  7. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  8. ^ 『官報』第3932号、大正14年10月1日。
  9. ^ 『人事興信録』第12版 上、イ49頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。