伊澤一葉

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伊澤一葉
出生名 伊澤啓太郎
生誕 1976年7月4日(40歳)
出身地 日本の旗 日本岡山県倉敷市
職業 ピアニスト
作詞家作曲家編曲家
音楽プロデューサー
担当楽器 ピアノ
キーボード
ギター
ボーカル
活動期間 2005年11月 - 現在
共同作業者 あっぱ
東京事変(2005年 - 12年2月29日)
the HIATUS
公式サイト IZAWORKS 伊澤一葉公式サイト

伊澤 一葉(いざわ いちよう、本名・伊澤 啓太郎(いざわ けいたろう))は、日本ボーカリストピアニスト作詞家作曲家編曲家音楽プロデューサー。バンド「あっぱ」のピアノ&ボーカル、「the HIATUS」のキーボーディスト。2012年に解散した「東京事変」では鍵盤楽器ギターを担当していた。自身が中心となって結成したあっぱでは本名の伊澤啓太郎、それ以外では伊澤一葉名義で活動。愛称は「わっち」。

父は岡山を中心にチェーン展開する文具やOA機器の卸売り企業クラブン株式会社の社長である伊澤正信。

略歴[編集]

1976年、岡山県倉敷市にて生誕。

4歳からピアノを始める。

中学2年生の頃からはギターも始め、バンド活動に乗り出し、ボーカルも担当するようになる。

倉敷市岡山県立倉敷青陵高等学校3年のとき、国立音楽大学に入学を決意し、一浪の末、同大学の作曲科に合格。しかし、"勉強して作曲できる"ということに疑問を持ち始め、2年で中退。

大学を辞めた後、PE'Zヒイズミマサユ機とバンドを組むが3ヶ月ほどで解散。当時は僧侶のような坊主頭で、赤い照明だけの深紅に染まった部屋でグランドピアノと共に生活していた。

2004年あっぱを結成する。ピアノボーカルを担当している。

2005年初夏から椎名林檎率いる東京事変のキーボード担当として、ギタリストの浮雲と共に加入。加入までに紆余曲折があったが、ベース亀田誠治の「早く一緒にやろうよ。」という言葉が決め手になった。

2009年6月からthe HIATUSにツアーメンバーとして鍵盤で参加。Antibioticではレコーディングにも参加している。

2012年閏日、所属していた東京事変が解散した。

2013年からは、堀江博久のグループ離脱に伴い、the HIATUSの楽曲制作メンバーとしても活動に参加する。

人物[編集]

東京事変加入時に名乗ることになった「伊澤一葉」という芸名は樋口一葉からとったものではなく、父の会社クラブンの社訓である『一陽来福』から。また当時、小学校へ提供した楽曲『木の葉のお金使えます』の制作中ということもあり「一葉」となった。椎名林檎が「心十(しんじゅう)」など複数の名前を提案したものの、「伊澤一葉」という名前にこだわってそれらを拒否した。

音楽活動[編集]

あっぱ[編集]

あっぱにおいてはバンドの大黒柱的存在であり、ピアノ・ボーカルを務めるほか楽曲の作詞作曲も行う。本名の伊澤啓太郎として活動。

東京事変[編集]

2005年、前任の鍵盤奏者H是都Mの脱退に伴い加入した。東京事変ではピアノやキーボードなどの鍵盤楽器全般、ギター、コーラスと一部の曲ではリードボーカルも務める。楽曲制作では作曲編曲の他、まれに作詞も行う。2ndアルバム『大人(アダルト)』では、メンバーたちに先駆けて一人でアレンジ作業を進めていたが、あとから参加してきた椎名林檎とその方向性に対する意見の違いから対立した。伊澤一葉名義で活動。

the HIATUS[編集]

当初は一部のツアーやフェスのみ参加し、レコーディングや普段のライブにはメンバーの堀江博久が参加していた。しかし2012年の堀江の脱退に伴い、翌2013年よりレコーディングメンバーとしての活動も開始。the HIATUSではボーカルの細美武士、ドラムの柏倉隆史とともに3人で曲の中心となる部分を作り、残りのメンバーを含めた5人でアレンジするという形でやっている[1]

演奏スタイル[編集]

ピアノ・キーボード[編集]

ミスタッチがほとんどない繊細かつ的確な演奏スタイルゆえ高い演奏能力を持つ。演奏には多くの楽曲でグランド・ピアノを始めとするアコースティック系の鍵盤楽器を用いることが多いが、東京事変の4thアルバム「スポーツ」の制作においては、シンセサイザーなどのデジタル系サウンドを多く取り入れるなど音作りにも意識的に臨み、キーボーディストとしてのスキルの幅を広めている。

楽曲においてはジャズやポップス系のサウンドアプローチを多く取り入れ、得意としている。

ジャズ系アプローチについては、音楽大学退学後に、ジャズ・ピアニストの南博から教授を受けている。

伊澤本人が作曲した楽曲でサンバ調になる時は、ファンから「伊澤タイム」と親しまれてる。

ギター[編集]

ライブツアー「"DOMESTIC!" Just can't help it.」では、「C'm'on Let's go!」「喧嘩上等」の2曲においてギターを演奏している。「C'm'on Let's go!」ではリードギターを務め、ギターソロも披露した。

また、2006年年末の「COUNTDOWN JAPAN 06/07」では、「群青日和」でギターを演奏している。

2007年発売のアルバム『娯楽 (バラエティ)』収録曲「復讐」、配信限定シングル「閃光少女」でギターを演奏している。同年のライブツアー「Spa & Treatment」では、「復讐」「群青日和」「閃光少女」でギターを演奏している。

2010年のライブツアー「ウルトラC」でも「閃光少女」でギターを演奏している。

2011年発売のシングル「空が鳴っている」、アルバム『大発見』収録曲「絶対値対相対値」「新しい文明開化」「風に肖って行け」では、ギターを演奏している。

2011年のライブツアー「discovery」では「空が鳴っている」「風に肖って行け」「絶対値対相対値」「閃光少女」「群青日和」「新しい文明開化」 でもギターを演奏し、「絶対値対相対値」「空が鳴っている」「閃光少女」ではリードギターを務め、「絶対値対相対値」「閃光少女」ではギターソロも披露した。

ボーカル[編集]

東京事変の「某都民」や「SSAW」などでは、椎名林檎とデュエットの様な形で一緒に歌っている。『color bars』収録の「怪ホラーダスト」では初めてリードボーカルを務めた。その他多くの楽曲でコーラスを担当している。

その他[編集]

あっぱ・プライベート[編集]

  • あっぱを結成する前に、NAMというバンドを率いていた。
  • 東京事変の「手紙」という曲は、NAM活動の頃、膨大に作曲された曲の中のひとつ「umareku」という曲が原曲である。
  • 東京事変の「生きる」という曲は、NAM活動の頃、膨大に作曲された曲の中のひとつ「フリーター」という曲が原曲である。
  • 前述の通り、PE'Zのヒイズミマサユ機とは友人で、東京事変加入はヒイズミの紹介によるもの。
  • 髪型が頻繁に変わる。1000円の床屋でモヒカンにしてもらった。
  • BONNIE PINKのベストアルバムを購入した。
  • 2006年夏にはイタリアへ旅行。多くの写真をHP上で公開した。
  • 2ちゃんねらーである(自らの小言で公表)。
  • 腱鞘炎が持病であり、第一回林檎班大会ではピアノが演奏できず、パーカションとして参加した。
  • 満島ひかりのファンであることを自身のツィッターでつぶやいた。

東京事変加入後[編集]

  • ライブツアー「“DOMESTIC!” Just can't help it.」のMCでは、イナバウアーにちなんだ「イザバウアー」を披露した。
  • 椎名林檎×斎藤ネコのアルバム『平成風俗』の収録曲『ギャンブル(M1)』にピアノ演奏で参加している。
  • 事変メンバーでは特に刄田綴色と仲が良い。(浮雲曰く「(刄田の)父親」)
  • 椎名曰く「お腹が空くと物凄く不機嫌」になり、「お肉を食べると物凄くエロくなる」らしい。

サポート[編集]

レコーディング参加
ライブサポート

楽曲提供・編曲・プロデュース[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ MONOEYES 激ロック インタビュー”. 激ロック (2015年7月23日). 2015年11月22日閲覧。

外部リンク[編集]