伊東三郎
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伊東 三郎(いとう さぶろう、1902年11月16日 - 1969年3月7日)は、日本のエスペランティスト、農民運動家。本名は宮崎巌。旧姓は磯崎。筆名はほかに伊井迂(イーウ[1])。
生涯[編集]
岡山市北区天瀬生まれ。大阪外国語学校(現大阪大学)中退。1925年エスペラント青年同盟を結成。1928年国際文化研究所の設立に参加。1930年日本共産党に入り農民運動を指導、全国農民組合(全農)戦闘化協議会の機関誌『農民闘争』の編集にあたる。1931年の全農分裂の際は全農全国会議派の組織化を指導、1932年逮捕され豊多摩刑務所に入り、1936年保釈出獄、1940年に再検挙され巣鴨刑務所に入る。戦後は日本共産党熊本県委員会で一時活動、のちエスペラント教育活動に専念した。[2][3]
著書[編集]
- 『ザメンホフ エスペラントの父』岩波新書 1950
- 『コトバの歴史』中央公論社 ともだちシリーズ 1952
- 『くろうまブランキー』堀内誠一画 福音館書店 <こどものとも>傑作集 1967
- 『高くたかく遠くの方へ 遺稿と追憶』渋谷定輔,埴谷雄高,守屋典郎編 土筆社 1974
- 『エスペラントとは何か 伊東三郎エスペラント論集』理想閣 1976
- 『日本エスペラント学事始 伊井迂氏談論集』武藤丸楠編 理想閣 1977
- 『ことばはなぜ通じるのか』理想閣 1978
- 共著
- 『プロレタリアエスペラント必携』小坂狷二共著 鉄塔書院 1930
論文[編集]
注[編集]
- ^ エスペラントのiu(誰か、英語のsomebodyに当たる)にかけたペンネーム。
- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ 日本人名大辞典